「国と国民の貧困化」(2023年10月05日)

ライター: スナンカリジャガ国立イスラム大学教授、ムサ・アシュアリ
ソース: 2005年10月14日付けコンパス紙 "Pemiskinan Negara dan Rakyat" 

インドネシア共和国統一国家が作られたとき、統治構造とビューロクラシーの拡大発展に
ともなって価値体系と法規の間に乖離が生じた。暫定的でシンプルな1945年憲法は、
変化、推移、そして多次元的な民族内のコンフリクトの複雑さに応えるための妥当性を備
えていなかったのである。

その結果、さまざまなアスペクトにおける民族内の問題解決は統治者と統治そのものにと
ってのメリットに傾き、反対に民衆の役割はマージナル化の方向に追いやられた。あらゆ
る問題が統治行政ビューロクラシーへの傾斜を起こした結果、ビューロクラシー腐敗を発
生させる内部コンフリクトが生じた。

その結果、理想主義的な国家公務員と行政高官の多くにフラストレーションが起こり、職
務と権限を簡単に財を得る手段として使うというプラグマチックな歩みをかれらは始めた。
国家ビューロクラシーは腐敗官僚によって貧困化を起こし、貧困な国家はおのずから国民
を貧困化させるようになっていった。

止むことのない腐敗行為は政治家・官僚・財界人・軍人の結託勢力を築き上げて国家国民
を貧困化させている。そればかりか、この結託勢力は強力な社会共鳴を作り上げるのに成
功したため、その結託勢力のひとつが腐敗行為のために法の裁きを受けることになった場
合、これまでその影響下に経済生活を送って来た草の根庶民社会に強い衝撃をもたらして
破壊性を帯びた社会コンフリクトを発生させる可能性があり、腐敗行為の対策がきわめて
複雑なものにならざるをえない状況に陥っている。

< 権力の魔術 >
権力の魔術は宗教の合法化と封建的政治文化の伝統を国民生活の中に形成させた。それは
今日に至るまで一貫して継続している。このコンテキストにおいて社会階層構造は国家元
首を権力ヒエラルキーの最高位に就け、民衆を最下層に置いている。上にへつらい下を踏
みつけにする社会階層がその中間にあり、そこにはたいてい王の下僕、ビューロクラット、
衛兵隊長、オポチュニストらがひしめき合っている。

権力の魔術は最高権力者の一身に、まるで魔法のように権力を積み重ねた。あたかも天空
の輝きのように、権力が高まれば魔術の力も連動して強まる。王国システムが権力の魔術
に力を与えて腐敗をますます複雑なものにし、支配者への貢納奉仕の慣習を実生活の中に
出現させて民衆生活に苦難をもたらしている。支配者への貢納を怠れば、民衆は保護もサ
ービスも期待できないのである。

権力の魔術は、インドネシア共和国統一国家がさまざまな形態で試みたデモクラシーシス
テムの正しい進展を妨げた。議会制リベラルデモクラシー(1945-1959)、指導
される民主主義(1959-1965)、パンチャシラデモクラシー(1965-1998)
、さらには1998年以来のレフォルマシ時代から今日までも。

権力を民衆の手に持たせるのがデモクラシーだというのに、実態はどの時代も変わりなく
民衆は無力だった。民衆の暮らしも最初から現在に至るまで悲惨だった。深まるばかりの
貧困に国も民衆も力なくうなだれただけだったのだ。

< パラダイム的変化 >
国の貧困化がシステマチックに継続している中では、行政高官を誰が務めようとも国と民
衆の恒久的貧困化の穴に落ち込んで埋もれる結果となり、民族知識階層の能力は干上がっ
てしまう。プラグマティズムは陸地・森林・海洋にある国家資産を外国の質草にするだけ
でしかなく、それは国と大衆を貧困化させる結果をもたらすものになる。

国家と民衆の生活が貧困さを増す状況においては、国の統一性と民族の一体性への脅威が
いっそう顕在化しつつあって、たいへん広い国土の一体性を維持するための費用も巨額に
のぼるために、その脅威に対抗することもますますおぼつかなくなっている。その一方で
地方自治の下に各地方は独立自治州に分離するためのパワー蓄積を地元資産を使って図っ
ているという声が聞かれる。パプア、マルク、マカッサル、リアウ、バリなどでそんな噂
があるのだ。

だから大統領はもっと創造的洞察的にこの国を統率する能力を持たなければならない。よ
りよい未来の希望をもたらす新しいパラダイム的ブレークスルーを求めて質素・正直・オ
ープンマインドな暮らしをみずからが示し、国民に明確な手本を与えるようにして、これ
まで行われてきた統率スタイルを根本的に変えなければならない。

ハードワークだけでは足りないのだ。正副大統領や大臣たちが一生懸命働いているという
のにわれわれは自分たちが置かれている状況に進歩を感じることがなく、不安に包まれて
いるばかりではないか。おまけにわれわれのビューロクラシーは錆びついていて、速さの
度を増す変化を予期することに遅れてばかりいる。その結果、一つの問題が十分に解決し
きれていないところにもっと複雑な問題が加わって来て手に負えなくなるのである。

異常な状況は国にとっての弱点になり、社会の中のストラテジック集団がしばしば、反法
規的で社会の調和を崩す、統御しにくいプレッシャー勢力になっていく。あちこちで発生
したさまざまな暴力衝突事件が多様的民族生活への尊重心をたくさんのフェーズで低下さ
せた結果われわれは、自分が所属していない階層や集団を間違った悪いひとびとであると
一方的に断罪して、かれらが抑圧され弾圧されることを望むようになっていくのである。

時間を過去に戻すのは不可能なことだが、この異常な民族生活には民族指導者の根本的な
パラダイム的変化がもたらされなければならない。それに失敗すれば、国と民衆の貧困化
はこの統一国家を埋没させるだろう。今われわれはインドネシア共和国統一国家について
の夢を見ているのでなく、その存続に挑戦する現実に直面しているのである。