「貧しくないクリスマス?」(2023年10月06日)

ライター: 語義研鑽家、サムスディン・ブルリアン
ソース: 2014年12月27日付けコンパス紙 "Miskin" 

米国と言う名前の物量豊かな土地のマーケティング戦略によって作り変えられてしまう前、
Natal(クリスマス)という言葉は貧困のイメージと結びついていた。キラキラする包装
紙に包まれた豪華な贈り物とは縁のない行事だったのだ。聖なる書物類に記された物語は
すべて、貧しさが主題になっていた。パーティなどなく、華やかな色彩などまるで見当た
らないトーンで描かれていた。

宿の部屋を借りるための金さえ十分持っていない若い家族が仕方なく家畜小屋に泊まり、
生まれたばかりの赤児は牛のための水桶に置かれて眠った。ヤギや羊の番人は野獣や盗賊
の被害を防ぐために、夜中に放牧地を見回った。そればかりか、東方から高価な贈り物を
携えて長い旅路を歩いてきた金持ちは、新しく誕生した王を宮殿の中に見出すことができ
ず、失望と困惑のさ中にあった。


繁栄するインドネシアの真っただ中で、半分の国民が貧困の中で暮らしている。かれらに
とって、未来とは希望であって計画ではない。おや、半分が貧困だというのは、どこから
出てきた話なのだろうか?そう言っているのは世銀だ。インドネシア政府は12%くらい
だと言っている。UNDPによれば16%だそうだ。もしお望みなら、インドネシア国民
の90%が貧困だと正当な根拠を示して言うことさえできる。西ヨーロッパの金持ち国で
使われている基準で測ってみればよい。

どうしてそんなことになるのか?
貧困というのは天然自然の基準を持っていないのである。種々の学術分野での計算や分析
をベースにして貧困ラインの設定をあるレベルまで行うことはできるものの、結局のとこ
ろその決定は政治的な性質を帯びることになる。言い換えるなら、「お好みのままに」と
いうことだ。貧困というものは状態コンセプトよりも評価コンセプトに傾いており、自己
評価よりも社会評価の色彩が濃い。ある状態の評価がさまざまに分かれることは起こりう
る。ある土地で高い評価の与えられる資産が別の土地ではたいしたものにならなかったり、
社会からの評価が自分の評価と食い違っているといったことは頻繁に見受けられる。他人
から貧乏と思われているひとが自分を豊かだと考えていたり、世間から金持ちとあがめら
れているひとが自分は貧しいと思っているようなケースもある。

ある意味深な自己回帰的定義によれば、貧困者とは隣人から貧しいと思われているすべて
のひとだそうだ。もしあなたの一家(夫婦と子供二人)が米国で月収1千9百米ドルを得
ていたなら、あなたのご一家は正式な貧困家庭となり、隣人の憐みを誘うことになる。も
しもヌサンタラでそれくらいの収入を得ていれば、購買力平価に従えば7百万ルピアに相
当するので、けっこう快適な暮らしを営むことができる。隣人から羨望を向けられるかも
しれない。


miskinとは吹奏楽器のことである。あっ、間違って英語辞典を開いてしまった。KBBI
を開くと、アラブ語源であるmiskinとサンスクリット語源のpapaは同義語であり、tidak 
berharta, serba kekurangan (berpenghasilan sangat rendah)といった語義になってい
る。貧困という言葉の意味は、世界のどの言語の辞典を開こうが、だいたい似たような語
義が示されている。お気付きの通り、harta, kurang, rendahなどはたいへん主観的な言
葉なのである。

貧困者の生活に心を痛めている政策立案者は、個人の感覚的な物差しに従った評価や意見
に左右されることのない、できるかぎり正確に測定できる客観的な基準としての貧困の定
義を苦労して練り上げる。それなくしては、貧困のカテゴリーに属す者が誰なのかを知る
ことができないのだから。もしもそうであるのなら、ある政策が貧困との闘いで効果を揚
げたのか、それとも失敗だったのかということを、いったいどのようにして判断すること
ができるのだろうか?人間の感覚的な物差しに頼っているかぎり、国民の99%が貧困者
だというサーベイ結果が出現しないともかぎらない。もしもサーベイ調査を税務署員・・
・、おっと失礼、統計調査局員が行ったなら、そうなる傾向はおおいに予想される。

1960年代の米国で政府行政の貧困者救済政策を確定させるために、国家公務員の女性
経済統計学者モリ―・オーシャンスキーがさまざまな生活必需品の価格を採り上げて複雑
な計算方法を用い、貧困ラインのクリテリアを開発した。それ以来、そのシステムはそれ
ぞれの地域の実態と時代に応じて改善や調整が加えられながら、世界の至るところで使わ
れている。

経済的貧困や社会的貧困の他に、精神的貧困も存在する。それは精神文化領域の仕事だろ
う。学問の貧困?教師の皆さんの出番だ。信仰面の貧困?宗教界の皆さん、どうぞ。
今月はたくさんのひとびとにとって、ウエールズの由緒ある四つ星のHotel Miskinでパー
ティなんぞすることなく、経済的貧困の中でクリスマスを楽しむことこそが、豊かさに満
ち満ちた心と溢れるばかりの信仰心をたっぷりと賞味するための絶好の機会なのである。
メリークリスマス!