「タンジドル(4)」(2023年10月05日)

一般的な戦争では、敗者の側の人間は男も女も大人も子供も捕虜にされ、捕虜はたいてい
奴隷にされた。勝者の側の男たちは手に入れた女奴隷を使って性欲処理をした。奴隷は所
有者の持物であり、動産なのだ。持ち「物」だから人間として扱う社会的義務がない。そ
の現実を受け入れるために自分を人間でなく「モノ」であるという自己催眠にかけて一生
を送った奴隷もいたことだろう。人間のそんな心理的側面を社会生活の中に確立させた奴
隷制度も人類の遺産なのである。それが全人類の社会制度の中から消滅したというのに、
同じようなことをしている自由人は相変わらずちらほらと存在しており、心の中の奴隷が
全人類の生き様からいなくなる気配はいまだに感じられない。

戦争するために編成された軍隊は男ばかりだったのだから、攻め込んで征服した相手人種
の女を性欲処理の対象にするのは人間の本能にもとづく行動だったにちがいあるまい。そ
うすると奴隷女の中に妊娠する者が出たはずだ。

人類の長い歴史の中で数限りなく起こったそんなできごとにおいては、生まれた子供は母
親の手の中に置かれて奴隷にされるケースが標準だったのではないかとわたしは考えてい
るのだが、現代人の感覚を踏まえてそのポイントを見るなら、その意見に同意しないひと
の方が多いかもしれない。

現代の男性の多くは、たとえ賎しい奴隷女が母親であってもその子は自分の子供だという
気持ちを強く抱くのではないだろうか?だがしかし、現代人の男親が持つであろうその感
覚はせいぜいここ百年あまりの間に普及したものではないかという気がわたしにはするの
である。昔の男が持っていた非情さが、文明化やヒューマニズムといった名前の下で誘導
された「男性の女性化」によって社会的に変質した印象をわたしは抱いている。男として
優れていると昔は称賛されていた、自分であれ他人であれ、人間の「(優れた・美しい)
死」に向かって邁進する男の姿も非情なものだったではないか。
わたしはここで男性の精神的女性化現象を指摘しているだけであって、その現象を非難も
告発も断罪もしていないことをお断りしておきたい。どうか誤解なきように。


もちろん、歴史の中に掃いて捨てるほど起こったこの種のケースの中には、父親がその子
を母親から取り上げて自分の文化の中で養育し、子供は自分を父親と同じ人種の純血者と
思って大人になったり、あるいは出生の秘密を知りながらそれを世間にひた隠しに隠した
あげく社会的有力者になって一生を終えるようなことも起こっている。オランダ人が征服
した東インドにはそんなオランダ系プラナカンのストーリーが実話としていくつも語られ
ている。

語られていないものごとはなかったから語られていないのだという解釈をあらゆるものご
とに当てはめるべきではないだろう。そのロジックはもちろんありうるものの、語られた
のはそれが珍しいから語られたのであり、珍しくないものごとだから誰もわざわざ語ろう
としなかったというケースもあったはずだ。そのビヘイビアはひとの世の古今東西の常識
のひとつではないかとわたしは思う。


それが多かったのか少なかったのかという量的な問題はよく分からない。しかしポルトガ
ルコロニーに関する限り、奴隷女に産ませた子供をどうするかは個人の利害得失や感傷あ
るいは信条の問題とされず、国家方針がもたらした社会構造に関わるものになっていたは
ずであり、必然的に子供たちはすべてポルトガル文化の中で育てられるようにコロニーの
中が統御されていたのではないかと推測される。少なくとも、そのポイントに関する合目
的性が通念として尊重され、それを踏まえて社会生活が営まれていたのではないかとわた
しには推測されるのだ。

混血児は父と母の血が等分に入り混じった人間であり、文明を異にする父と母に育てられ
るメスティ―ソは異なる価値観を浸透させられることになる。両親が示す善悪・正邪・貴
賤・優劣などの価値観に関する態度が衝突するとき、子供は自分が従うべき側を選択しな
ければならなくなる。そのような選択行為が子供の自己アイデンティティの形成に大きい
影響をもたらすはずだ。[ 続く ]