「東インド(3)」(2023年10月11日)

ヨーロッパ人がこの地球の探査を行うようになる前の時代、世界の地理は全然はっきり分
かっていなかったから、漠然とした大雑把な感覚で遠い異郷の土地と、そこに住む見たこ
ともない直立歩行するサルどもがうごめいている場所について、地名だけがひとり歩きす
ることになったはずだ。内容は各人のイメージにお任せといったところだろうか。

遠い東の果てに中国があり、東方オリエンタル地域の西部でヨーロッパにつながっている
領域がアラブである。アラブのもっと東のほうにインディズがあり、そこで穫れるスパイ
スがヨーロッパ人の生活に不可欠なものになっていた。金銀の価値に比類されるほどのス
パイスはインディズに生えているという知識が、スパイスとほとんど同義語としてのイン
ディズの名をかれらの脳裏に刻み込んだにちがいあるまい。インディズという言葉はそう
いう、中国とアラブの間に漠然と存在している土地の名称として使われていたように思わ
れる。


ヨーロッパ人が自分の力でスパイスの産地を訪れて高価なスパイスを手に入れるための行
動を起こす機が熟したとき、ヨーロッパ諸国はわれもわれもとインディズに憧れた。その
とき、インディズという言葉は高価なスパイスと同じ意味を与えられたように思われる。

インディズに向かうヨーロッパ人は最初からスパイスの産地を第一目標に置いたのであっ
て、世界探査はその副次効果だったと言うと言い過ぎになるだろうか?コロンブスだって、
スパイスを取りに行くという話だったからスペイン王が船と乗組員を用意したのではなか
ったか。


1511年にマラヤ半島のマラカを陥落させて奪い取ったあと、ポルトガル人は1512
年についにスパイスの産地であるマルク地方に到達した。ポルトガル人がモルッカスと呼
んだインドネシアのマルク地方もインディズの中の一地方なのである。

ところがアメリカと名付けられた新大陸の存在が標準社会常識になっていくにつれて、ヨ
ーロッパ人たちは本来のインディズを東インディズEast Indiesという名前に変えた。1
550年代ごろには、前世紀に使われていたインディズという言葉が世の中で、同じ意味
のまま東インディズに切り替わったのではないかと思われる。その変化は、カリブ海の島
々を西インディズ、ホンモノを東インディズとして明確に区別するためだったという話に
なっている。

カリブ海のほうを西インディズと呼ばなければこんなややこしいことをしなくても済んだ
のではないかと素人頭は考えるのだが、いったいどうしてそんなことになってしまったの
だろうか?その原因についての解説をわたしはいまだに探し出せないでいる。


ひとつ推測されるのは、インディズに憧れたヨーロッパの諸国にとって、コロンブスのイ
ンディズとアフォンス・ドゥ・アルブケルケのインディズはまるで無関係の、たいへんに
大きく距離の離れた位置にある土地だったのだが、そうではあっても資源の宝庫に違いは
なかったのだ。つまりインディズという名前の場所がふたつ出現し、しかも諸国家はその
両方を「あれも欲しいし、これも欲しい」と垂涎したにちがいない。

かれらがその二カ所への進出を国家方針にする願望を持ったのであれば、そのときに国家
戦略立案者たちがそれを東と西のインディズと呼ぶことにした可能性が考えられないだろ
うか?そのとき、元々は地理名称だったインディズという言葉が「夢のような宝蔵郷(と
いうかまあ黄金郷の一種だ)」というシンボリックな単語に概念転換してしまった。だっ
て最初から、漠然とした地理名称のインディズという言葉は同時に高価なスパイスをシン
ボライズする言葉になっていたではないか。

こうして地理名称のインディズはEast Indies/West Indiesというペアをなすシンボリッ
ク単語に変身した。ラテン語ではIndiae OrientalisとIndiae Occidentalisというカップ
リングになるはずだ。

もしもインディズが地理名称の機能から投げ出されて宝蔵郷を意味するシンボリック単語
に変質したとするなら、オランダ王国が自国領にした今のインドネシアをネーデルランズ
インディエNederlands-Indieと命名した気分が何となく推察できるような気がする。
[ 続く ]