「東インド(4)」(2023年10月12日)

わたしが抱いた夢想噺はともかくとして、ヨーロッパ人にとって元来のインディズだった
地域名称は東インディズに変わったのである。東インディズという地理名称は三つの異な
る地理的領域を指して使われたという説明がインターネットから得られた。多分、時系列
に沿って変化したようにわたしには推測される。古い順に並べるとこうなるのではあるま
いか。
【1】インド亜大陸・インドシナ亜大陸に狭義のマレー諸島を加えたもの
   これが元々のインディズの内容だったように思われる。
【2】下の3とフィリピンを包括するマレー諸島
   マレー諸島の語義にバリエーションがあり、広義はインドシナ亜大陸からオースト
ラリアまでを含んだ地域、狭義は3とフィリピンという東南アジア島嶼部だけ。
【3】現在のインドネシア共和国領土
   オランダに領有されていた時代にオランダ王国がその地域の公式名称をネーデルラ
ンズインディエにしていた結果と考えられる。

上の内容をもう少し?み砕くと、元々のインディズだった【1】が16世紀に入って東イ
ンディズと名前が変わったものの、内容はインディズをそのまま引き継いでいた。それが
もっと後の時代になってインドやインドシナが個別の名称で認識し表現されるように変化
した結果、おのずとそれらが東インディズから脱落して【2】の段階に至った。だが2の
段階はあまり長続きせず、漠然とした広域名称の東インディズはオランダ人が実用面で昔
のインディズの形で使うだけになって【3】の段階へと進んだ。そして今は、東インディ
ズ(つまりインディズという言葉そのもの)は歴史の中に出て来る術語と化したというこ
とではないかと推測されるのである。


インディズ(16世紀に入ってからは東インディズ)という言葉が上記【1】の内容を意
味していたことは、古い時代に作られた地図を見れば分かりやすいと思われる。その一例
として、1522年にロロン・フリース(Laurent Friesはイギリス人でない)が製作した
Indiae Orientalisと題する地図を見てみよう。

これは、25x30センチの紙面の左側にインド亜大陸とセイロンが描かれ、その右側中
央部にOceanus Orientalis Indicusの海があり、インド亜大陸からほど近い距離にいくつ
かの島々が描かれていて、その島々の中に大ジャワJava Maiorや小ジャワJava Minorを見
出すことができる。

Peutamと書かれている島もあるが、これは他の地図に出て来るPentanを意図していたのだ
ろうか?ペンタンという島は今のBintan島なのだそうだ。このように地図によって、また
時代によって、昔のヨーロッパ人が認識した地名と現代の標準名称に違いがあるケースも
少なくない。地図によって北マルクのハルマヘラ島がGiololo、ボルネオ島がPorne、ティ
モール島がTimosと書かれていたりする。

ロロン・フリースのこの地図が、インドネシアの国土を中心に置いて描いた世界最初の地
図だと言われている。インディエオリエンタリス地図はその後も更に1540年、156
1年と次々に更新されていった。


1492年にマルティン・べハイムが世界で初めて作った地球儀にも大ジャワや小ジャワ
という言葉で示されたおかしな形のジャワ島がふたつも描かれている。インディズの一部
であるこの地方とヨーロッパの間にはもちろん、アメリカ大陸はまだ描かれていない。

球体の上に描かれたその世界地図はフランチェスコ・ロッセリーニが1492年ごろ作っ
た世界地図とよく似ており、インドネシア共和国の土地をはじめて世界地図に掲載したの
がそれらの地図だったとされている。[ 続く ]