「タンジドル(9)」(2023年10月12日)

あまり明るくない街灯の光に照らされている楽器も老齢に見える。ブラスの色も艶がなく
なってほとんどきらめきを見せず、黒っぽく陰っている。おや、どの楽器もあちこちにへ
こみがあるぞ。トランペットもコルノも指かけがないではないか。リーダーのカマンさん
55歳が吹いているトランペットにはW Bello Weltevredenの刻印が見える。

女性はシンデン、つまり歌手だ。それらの楽器がブタウィ曲のJali-jali, Sri Kuning, 
Kacang Asin, Cap Go Mehなどを合奏し、その伴奏でシンデンが唄うこともする。

家の主と家族が座って生演奏を愉しみ、隣人たちも集まって来て思い思いの場所で吹奏楽
に聞きほれる。夜は更けていくが聴衆は帰宅しようとせず、反対に近くの寺院に詣でたひ
とが立ち寄るために聴衆が増えていく。楽隊のみんなは増加する聴衆を前にしてはりきる。
曲の合間にテーブルに置かれているブリキのヤカンに入った熱いコーヒーを自分のカップ
に注いで飲む奏者もいる。


このタンジドル楽隊はブカシ県南タンブンのカンプンプロの住民で、毎年陰暦正月前夜か
らグロドッにやってきて15日目まで寺院に泊まり込み、華やかに飾られた華人街に音楽
の賑わいを添えている。15日目のチャップゴメーの夜が終わると、楽隊は乗合バスに乗
って自宅に帰るのだ。普段は農業労働者をしているかれらは、その15日間に一人当たり
25万ルピアくらいの稼ぎを得て家に持ち帰る。普段の収入に比べたら、そりゃけっこう
な金額だよ、とかれらは言う。

夜が更けても家に寝に帰ろうとする聴衆は見当たらない。陰暦正月前夜というのは大晦日
のことなのだ。中華街は一晩中明るい光の中で新年を迎えることになる。楽隊のメンバー
はみんなでVihara Dharma Bhakti(金徳院)寺院の構内に泊まるつもりだが、今夜は身体
を伸ばして寝ることはできないそうだ。寺院の周辺から構内に至るまで乞食が埋め尽くし
ているために横になって身体を伸ばせるスペースが得られない。乞食は1千人くらい出て
いるだろうという話だ。

この楽隊がタンブンから陰暦正月にコタにやってくるようになったのは1977年ごろか
らで、タンジドルの出演オーダーがさっぱり入らなくなったためにこの方法で埋め合わせ
を図ることにした。かつてこのグループは田舎でたいへんな人気を誇り、ボゴール県やブ
カシ県で結婚パーティや種々の祭事の出演に引く手あまただった。グループへの出演料は
一晩200ルピアが支払われた。その当時の米の値段はおよそ3キロでわずか2.5ルピ
アだった。タンジドル楽隊はとてもいい稼ぎになった。だからかれらの黄金時代はあまり
百姓仕事をせず、ミュージシャンで生計を立てていた。

かれらがタンジドル楽隊を始めたのは1955年だ。いろいろな管楽器と打楽器をそろえ
るには100ルピア必要だったから、その金を用意するために飼っている牛を売った。そ
してふたりのタンジドル演奏家を招いて指導を受けた。

楽隊としてやっていけるようになってから20年あまりのミュージシャン時代が続き、そ
の後タンジドル斜陽時代がやってきて、挙句の果てに、一年に一度陰暦正月で稼いだあと
は百姓仕事をするようになってしまった。かれらが物語ったタンジドル楽隊盛衰記がそれ
だ。


東ジャカルタ市チパユン郡ポンドッランゴン町では毎年Hajat Bumiの祭りが行われている。
年に一度催されるこの祭りは、豊かに得られた農産物hasil bumiを神に感謝し、来年もま
た同じように恵まれることを祈って行われるものだ。同時に居住者住民が無病息災ではん栄
することを願い、加えて住民同士の友好と親睦をはかって種々の演芸が催される。

そのためにまず神事が営まれ、それが終わるとみんなで食事をし、お楽しみ編は音楽や踊
り、あるいはゲームなども行われる。ハジャッブミの祭事はジャワ島で広く行われていて、
sedekah bumiと呼んでいる地方もある。イスラム渡来前のヒンドゥ=ブッダ時代から行わ
れていた伝統行事と言われているが、現代のハジャッブミはきわめてイスラム色の濃いも
のに変化しており、豊作をもたらしてくれる神はイスラムの神に置き換わっている。
[ 続く ]