「イセン(前)」(2023年10月17日)

ライター: 社会学者・文学者、アリエル・ヘルヤント
ソース: 2003年8月17日付けコンパス紙 "Iseng" 

西ジャワのある町で暮らしている24歳のバソ作り売り人、シランが1995年の独立記
念日を迎えて家を直し、どこでもみんなそうするように家の外壁もペンキを塗り替えた。
ところがかれはひとつだけ、だれもしないことを行った。PKI Madiun Bangkitという文を
壁に大書したのだ。大騒ぎが起こった。

コミュニズムフォービアのまだたいへん強い時節だ。シランは逮捕されて軍諜報機関で尋
問された。尋問に対して、自分はPKIが何を意味しているのか知らないという答えをシ
ランは一貫して通した。かれは自分が自宅の壁に書いたその文の意味を理解していないこ
とを説明した。PKIという言葉は政府高官が口にしているのを聞いて知った。マディウ
ンは自分の生まれ故郷だ。「立ち上がれ、マディウン」。何だかよく分からないがPKI
をそこにつけた。

シランの自供に従うなら、かれがしたことはただのイセンでしかない。ところがシリワギ
軍管区司令部の担当官はシランの供述を頭から否定し、まったく納得できない話だとコメ
ントした。まるでオルバレジーム30年間の亡霊コミュニズムの方がはるかに腑に落ちる
とでも言うように。

シランが何に動かされてそんなことをしたのかという真実とは関係なく、かれには罰が与
えられた。全国民が独立記念日を祝っているとき、かれは何日間も留置所の鉄格子の中に
置かれ、そして留置所から釈放されたあとも市中軟禁の罰が与えられて週一回当局に出頭
するよう命じられた。

妻と8人の何も関係のないトゥカンバソも逮捕されて、シランの普段の生活における行為
行動が洗い上げられた。オルバ時代の「特別調査」や「環境浄化」などといったロジック
がその時代には納得できるものと考えられていたのだ。


シランの事件から8年経って、ジャカルタで爆弾テロ事件が起こったあと、独立記念日を
前にしてイセン行為がまた盛んになった。東ジャワ州で爆弾に関する虚偽電話が少なくと
も5件なされた。スラバヤのそごうトゥンジュガン、ホテルマリオット、ホテルシャング
リラ、マランのホテルリージェントとマクドナルドといった高級施設だ。マランの2件に
ついては、犯人が短期間で逮捕された。マスメディアの報告によれば、犯人はそれをイセ
ンでしたことだと認めている。

法執行者たちには、法を犯したかそうでないかについての明白な基準がある。その行為が
イセンでなされたかどうかは問題外なのだ。必要なのは、その違反行為を行った容疑者の
心身の状態が正常だったかどうかを法的に証明することである。8月9日付けコンパス紙
に掲載された「イセンという言葉はない」と題する記事に引用された東ジャワ州警長官の
言葉、「ただのイセンのつもりでデマ電話をかけて来る者を含めて、テロ行為者には断固
たる措置を取る。」が示している通りなのだ。


センシティブな文化社会問題オブザーバーにとっては、それで問題が終わるわけでは決し
てない。反対にそこから問題が始まるのである。これはひとりふたりのおかしな人間が行
っていることではないのだ。かと言って、計算しつくされた大掛かりなことが組織的に行
われているわけでもない。問題はイセンという理由の裏側に何があるかということでなく
て、もし何もなかったらどうなのかという点にある。

イセン行為を行ったかれらが、もしも真面目に真剣に純粋に、それ以上でも以下でもなく、
単純にそれを行っただけだというのであれば、われわれはこの社会をどう考えればよいの
だろうか。やることがない?楽しみがない?法執行者をからかいたい?テロリストになる
ファンタジーを愉しむ?能力も策略もなしにか?カラオケで有名歌手になったファンタジ
ーを愉しむのと同じだ。[ 続く ]