「タンジドル(終)」(2023年10月20日)

しかし時代は変わった。今はお手本をスマートフォンに録音し、弟子はそれを真似する。
ジャイプは祖父から教わった曲をすべて録音した。Kembang Kacang, Glatik Nguknguk, 
Balo-balo, Kramat Karem などの古典曲を含めて。それらはかれの祖父が生まれる前から
あった曲だそうだ。祖父は何年生まれですか、と記者が尋ねるとかれは答えた。
「判るわけがないよ。昔のひとは子供の生まれた日付を書き留めるなんてことをしなかっ
たんだから。」

タンジドルに由緒のあるボゴール県チトゥルップでは楽隊が消滅して長い年月が経つ。何
かの催事にタンジドルが出ていれば、その楽隊はよそから招かれたもの以外にありえない。
地元の音楽関係者によれば、1990年代が地元の楽隊の最期だった。華人コミュニティ
がチャップゴメーの祭りを催すとき、タンジドルは他の地域の楽隊を招かなければならな
い。

地元民のピピッさんはタンジドル楽隊メンバーを職業にしてきた。地元の楽隊がなくなっ
たあと、ピピッはチジャントゥン・パルン・デポッなどの楽隊によく誘われて舞台に上っ
た。「チトゥルップにはもう楽隊はないよ。持ち主が楽器を全部売り払った。わしも卒中
を患ってから楽器が吹けなくなってしまった。」


2014年3月にジャカルタのブンタラブダヤでタンジドルパレードと題するプログラム
が催された。参加したタンジドル楽隊には若者の姿がたくさん見られた。参加したグルー
プは次の通り。Tanjidor Tiga Sodara, Tanjidor Pusaka Tiga Sodara, Tanjidor Irama 
Jaya, Sanggar Sinar Betawi, Sanggar Betawi Si Pitung。その中には昔ながらの吹奏音
楽隊もあったが、レノン演劇やジャイポガン舞踊などとタンジドルの組み合わさった新し
い試みも紹介された。

新しい世代は昔ながらの吹奏楽隊のあり方を変身させて、新しいタンジドルの居場所を探
しているように見える。社会の嗜好が昔ながらの吹奏楽隊を見限ったのだから、その社会
の若者たちがタンジドルに向ける姿勢もおのずと変化するのが自然の摂理だろう。

タンジドルが変身したとき、タンジドルという名前で呼ばれることがいつまで続くのか、
それは先の読めない話だ。しかしタンジドルという名称はひとびとの記憶の中に生き続け
るかもしれない。

2014年3月にコンパス紙がジャボデタベッ住民627人から集めた統計調査によれば、
良く知られたブタウィ芸能の第3位にタンジドルが置かれていた。その内容はこうだ。
1 Ondel-ondel 57.8%
2 Lenong 25.0%
3 Tanjidor 4.8%
4 Gambang Kromong 4.0%
5 Tari Topeng Betawi 2.9%
タンジドル楽隊を雇って音楽を演奏させようという気持ちは社会の中からほとんど消え失
せたようだが、その名前だけは社会記憶の中に生き残っている。

大都市ジャカルタの市民生活の中からタンジドルも、そしてガンバンクロモンも姿を消し
た。それらの音楽を生で聞きたければ、祭りの日にブタウィ伝統村を訪れることでめぐり
会えるかもしれない。しかしタンジドルも他の演芸とのコラボに向かっている状況を見る
限り、タンジドルの本性だった行進音楽隊としての姿と音は既に歴史の中に埋没したよう
な印象を受ける。

タンジドル吹奏楽隊は昔、カリマンタンにもあった。西カリマンタンにはまだ残っている
が、南カリマンタンでは絶滅したそうだ。[ 完 ]