「ヌサンタラのコーヒー(1)」(2023年10月23日)

エチオピアのカッファに住むヤギの放牧番人カルディがある日、高原にヤギを連れて行っ
てその番をしていた。ヤギたちは草を食べたり藪の木の実を食べていた。とある一画にあ
る藪の木の実を食べたヤギが突然興奮して飛び跳ねたり後足で立ち上がったり、大声で吠
えたりしたから、カルディは驚いた。そしてかれも自分でその実を食べてみた。するとな
んと、かれの体内に鬱勃と活力が湧き上がってきたのである。

人間を元気にするこの赤い木の実をカルディは小袋に詰め込んで家に持ち帰り、妻にその
話をした。すると妻は、この天の恵みを僧院に持って行って神の祝福を得なければいけな
い、と言ってカルディを僧院に行かせた。

カルディの話を聞いた僧たちは慄いた。こりゃあ悪魔の仕業だ。一人の僧がそう言って机
に置かれた数個の木の実を暖炉に投げ込んだ。そしてカルディに説教を垂れていたが、暖
炉で焼かれた木の実がだんだんと香ばしい香りを放ち始めたことに僧たちは驚いた。急い
で焼けている木の実を拾い上げ、火を叩き落し、それを椀に置いて水差しの熱湯を上から
かけたのである。

そうこうしている間に香りは僧院内に満ちて、修道僧たちが香りの出所を探してそこにや
ってきた。大勢が集まって聖だ魔だという意見がひとしきり交わされている間に、カルデ
ィの言う「元気になる」という話がどんなものかをみんなが試した。そして深夜の勤行に
これはうってつけの飲み物ではないかという意見があふれて結論が決まってしまった。


エチオピアで語られているコーヒーの由来譚はそんな話だそうだ。わたしがこれまで耳目
にしたコーヒーの由来譚はアフリカ東部でヤギ飼いの牧童がコーヒー豆を見つけた話だけ
になっていて、そのあとアラブで飲用コーヒーが普及したという話につながっていくため、
エチオピアで見つかったコーヒー豆からアラブ人が飲み物を作ったような印象を持たされ
ていた。なるほど、コーヒー豆を見つけたエチオピア人はすぐにそれを飲み物にしていた
のか。

ところが、上のカルディの物語の後半はでっち上げられた尾ひれではないかという反論が
あるのだ。コーヒーの種が飲み物に使われるようになる前、食べ物として使われていた事
実がある。飲用コーヒーが世の中に出現する何世紀も前から、コーヒーの種は粉末にされ、
それをギーや動物の脂と混ぜて濃いペーストにし、丸めて球形にしたものが激しい肉体の
消耗に対する補強薬として使われていたという歴史学者の主張がある。

長期にわたって砂漠を徒歩で横断するような旅にこの補強薬は大きい効用を持っていた。
特にアラブ人の奴隷貿易に関連して、奴隷にされたスーダン人はたいていがそのコーヒー
玉を持って奴隷ルートを踏破したと考えられている。スーダン人はコーヒー玉の効用と作
り方をガッラ人から習得したようだ。またコーヒー玉文化はカッファからエチオピア東部
のハラルに伝わり、そこからアラブ半島に入って行ったと見られている。

このギーとコーヒー粉末の組合せはカッファでひとつの伝統になったらしく、現代のカッ
ファでは液体コーヒーにバターを溶かして飲むバターコーヒーが標準メニューのひとつに
なっているという話だ。

他にも、10世紀ごろにコーヒー粉末をお粥にして食べている種族がエチオピアにいたと
いう話も語られている。液体飲料になっている今のコーヒーの由来がひょっとしたらその
辺にあったのかもしれない。また、コーヒーの実を潰して発酵させ、ワインに似たアルコ
ール飲料にされていた話もある。コーヒーの粉末を混ぜたビスケットをエチオピア人はい
まだに食べている。

カルディの訪れた僧院が液体飲料コーヒーの発端だったかどうかは別にして、飲料の形に
なったコーヒーはエチオピアの中で始まったそうだ。だからアラブ人がエチオピアのコー
ヒー豆を飲み物にしたわけではなかったのだ。[ 続く ]