「ヌサンタラのコーヒー(2)」(2023年10月24日)

ヤギ牧童のカルディの話は西暦850年ごろのことだったと考えられている。この時代考
証はエチオピアでコーヒー農園(畑かもしれない)作りが9世紀に始まったという説に符
合させたものなのだそうだ。一方、イエーメンでもコーヒー農園(畑?)が西暦575年
に開始されたという説がある。

コーヒー栽培を始める前に自然木からの豆採取をエチオピア人が行っていた可能性は大い
にあるのだから、豆の発見から農園作り開始までの間に長い時間差があっても不思議はな
いように思われる。カルディはもっと古い時代のひとだったかもしれない。

イエーメンと言えば、コーヒーの由来譚の中にイエーメンのモカに住んでいた信仰心篤い
ムスリム隠遁者のシェイク・オマルの物語がまた別にあるのだ。アラブ人はエチオピアの
カッファでコーヒーの木を手に入れ、それをアラブ半島に持ち帰って植えたという話があ
って、世界最初のコーヒー農園はアラブ人の業績に帰するような説も語られている。


地図でKaffaを探すとエチオピアの西部高原地帯にあるKeffaという県が登場する。アラブ
半島とエチオピア間の往来はアデン〜ジブチ間を船で渡るのがもっとも簡便だったように
見える。そうであるなら、アラブ半島でエチオピアに一番近い土地はイエーメンになるだ
ろう。世界最初のコーヒー農園の話に出て来るアラブ人とはイエーメン人のことだったの
だろうか。

言うまでもなく、二つの土地の間の交易は両方の側の人間が行き来するのが昔からの普通
のあり方だった。一方の側からだけ人間がやってきて交易して帰るというあり方が起こっ
た場合、何らかの特殊事情がそこに介在していると考えるべきではあるまいか。アフリカ
大陸側からはソマリア人がアラブ半島に品物を持ち込み、アラブで手に入る品物を持ち帰
った。アラブ人だけがはるか奥地のカッファまで足を運んだのではなかったはずだ。

アラブ人はその木の実のことをqahwaと呼んだ。しかしながら、アラブ語カフワの語源は
地名のカッファではなかったと専門家は主張している。エチオピア人はコーヒーのことを
bunnやbunaと呼び、コーヒー豆をKaffa bunnと呼んだそうだ。アラブ語のコーヒー豆を調
べるとhubub ulbuniという対応語が出現して、カフワが出て来ず、反対にブンの音が聞こ
えてくる。


13世紀ごろに飲用コーヒーはアラブ世界に広まりはじめたと言われている。そのころは
まだ、モカを中心にしたイエーメンの界隈に限られていたのかもしれない。人間に活力を
与える薬として、夜中の目覚ましと気付け薬として、アラブ人はコーヒーの飲用を好んだ。

イスラム神秘主義者であるスーフィーもカフワを大いに愛用した。かれらが深夜におこな
うさまざまな勤行から睡魔を遠ざけるためにうってつけの飲み物がそれだったのだ。

薬として使われる濃厚な漆黒のコーヒーにスパイス類が混入されるのは当然の成り行きだ
ったにちがいあるまい。アラブ社会はヌサンタラやインドで産するスパイスをヨーロッパ
にもたらす中継貿易で栄えた土地柄であり、自然とカフワにスパイスが混ぜ込まれた。コ
ーヒーというもののコンセプトは最初から薬用飲料だったように思われる。カフワだけで
も身体をシャキッとさせ、精神のテンションを高める効用がある。そこに各種スパイスが
持っている薬用効果が混ぜ合わされて好評の薬用飲料になった。それがアラブコーヒーの
事始めだったのではないだろうか。たくさんのアラブ人が街中でカフワ飲料の路上物売り
になった。コーヒーヴェンダー商売はアラブ人が始めたものだ。

アラブコーヒーに使われるスパイスはクローブ・シナモン・カルダモン・ナツメグ粉・コ
ブミカン葉・レモングラス・パンダン葉・ヤシ砂糖が標準版という話だが、ショウガやサ
フランなども普通に使われているようだ。

薬用とされたくらいだから飲み物としてのカフワはたいへんな高濃度で作られ、小さいグ
ラスやカップで飲むだけで十分な量になった。がぶ飲みなどしないでゆっくりとすするの
が妥当な作法とされた。がぶ飲みなどして、心臓が早鐘を打ったり頭の中がズキンズキン
することになったら大変だ。

わたしが初めてアラブのホンモノコーヒーを味わったのはクウェートのダウンタウンで、
小さいカップに入ったスパイス入りの濃いコーヒーをアラブ人がわたしに振舞ってくれた。
その味に感動したわたしはお代わりをねだってしまった。

かれはそれをターキッシュコーヒーと呼んでいたから、純粋のアラビックコーヒーではな
かったのだろう。コーヒーの淹れ方に違いがあるらしいが、カップに入った液体だけでは
とてもそんなことまで分かりようがない。[ 続く ]