「インドネシア文化理解(3)」(2023年10月25日)

(∫)右手と左手の実用性に関しては、インドネシア人もアラブ人も右手を使う。
(∬)左右の手に異なる役割が与えられ、長い歴史の中で、パブリックスペースにおいては
右手を使うことが社会倫理にまで高められた。右手は善い手綺麗な手であり、左手は不浄
の手という公理がその慣習の基本理解になっている。
わたしはそれが衛生観念に端を発した使い分けであると解釈している。人間の身体から出
て来たり自然界に転がっている汚物の取扱いと、人間の身体に摂取されるものや人体の大
切な部位に触れるのに使われる手は分離させたほうがよいというのが根本原因だったので
はないだろうか。この見解から得られるのは左右ふたつある手の一方を汚穢取扱い専用に
すればよいというだけの話であって、右手がどちらでなければならないかということは別
のストーリーになるはずだ。普通一般の人間にとっては、汚穢でないものを取り扱う頻度
のほうが圧倒的に高かったはずであり、自然生理学的に右利きの人間が多ければ左手が汚
穢に回されるのが当然だったように思われる。
だから、右の肩には天使が乗り左の肩に悪魔が乗るという言い伝えは左手が汚穢専用にさ
れた後で作られた観念であって、それが綺麗な右手を慣習の中に作ったというのはどうも
本末転倒なのではないかという気がするのである。
とまれいずれにせよ、一部の文化においては右手左手の実用性が倫理にまで高められた。
文化の中に作り上げられた倫理はたくさんの人間がいろいろな原因理由を物語ってきたか
ら、そんな中で唯一の真実を探しても無意味だろうし、結論も多分得られないのではある
まいか。
しつこいようだがもう一度本質論に戻るなら、汚穢を触るときには左手を専ら使うという
のがそこにある原理であって、右手が綺麗専用などと言っているが本当はそんな定義を定
める必要がなく、おまけに実態さえもがそうなっていないようにわたしには思われるので
ある。世の中にあるすべての創造物が汚穢と綺麗に二分されているわけではないのだ。ど
ちらにも属さないニュートラルな物が山のようにある。だったら綺麗という言葉でなくて、
汚穢と非汚穢というカテゴリーに分類するのが論理的科学的な態度だったのではないかと
いう気がする。
ところが「綺麗」「汚い」という対語に影響されて非科学的な表現が採用された結果、論
理的におかしな概念が定着してしまった。言うまでもなく、言語とは本質的に非科学的な
ものなのだから。だからイスラム教徒が左手でアルクルアンを扱ったと言って目くじらを
立てるには及ばないし、この文化ビヘイビアを持っている諸民族の台所では、だれもが左
右の両手を使って料理し食べ物に触っているのが実態なのである。

(∫)男性同士が手を握ったりつないだりする振舞いは、米国ではホモやゲイの行為と見な
される。
(∬)イ_アで男同士の身体接触(もちろん性的な部位は論外)は自然なものと見なされて
いるようで、男同士が手をつなぐことはそれほど奇異な振舞いに該当せず、あまり意識さ
れずに普通に行われている。そこだけを見て、米国的観念を基準に置いてインドネシアに
はホモやゲイが多いと断定するのは歪んだクロスカルチャー理解にならないだろうか?

(∫)おじぎはジャワ人もする。特に別れの挨拶で、頭を前に倒し、あるいは身体を前傾さ
せるしぐさをするのは普通のふるまいだ。
(∬)教授が述べている「別れ」というのは長期間の別離だけでなく、明日また会うだろう
人に対するしばしの別れの挨拶をも含んでおり、それどころか、ちょっと出かけてきます
と息子が親に言う場合も含まれることがある。

(∫)ジャワには、座っているひとの前を通る時の礼儀作法がある。身体をかがめて小さく
なり、手を真下に伸ばしてnyuwun sewuと言う。高位者の前ではそれすらも行わず、遠回
りをしてでもその前を横切らない。
(∬)nyuwunはsuwunの派生形で「お願い申し上げる」を意味している。またsuwunの同義語
であるnuwunが使われてnuwun sewuと言うこともある。sewuはインドネシア語のseribuだ。

(∫)人間の頭は聖なるものと考えられている。
(∬)過日バリ島のモールで、幼児を抱いたお母さんとその夫の三人連れがエスカレータで
上の階に上がって来た。たまたまそこを西洋人の中年夫婦ふたりが通りかかり、幼児の顔
を見て何か言いながらかわりばんこに頭を撫でた。
幼児のお母さんはニコニコしていたがその夫の表情が一変し、憎々し気な顔つきで西洋人
夫婦を睨みつけていた。これが教授の述べた項目の具体例かどうかわたしには確信がない
ものの、きっとまあ、たいていの人がそれを結び付けることだろう。
あなたがインドネシア人の頭に触っていけないのは、あなたがそのインドネシア人にとっ
て赤の他人だからだ。親子親族関係あるいは親友恋人関係にでもなれば、相手がイ_ア人
であろうがなかろうがみんな自分の頭を相手に触らせている。
[ 続く ]