「インドネシア文化理解(4)」(2023年10月26日)

(∫)年齢・給料・買った品物の値段についての質問は、米国ではタブーとされているが、
インドネシアでは自由だ。

(∫)ラテンアメリカやアラブでは親しくないひとと立ち話するときでも、お互いに相手に
近寄って会話する。インドネシア人や米国人はあまり接近しない。インドネシア人が接近
派文化のひとと立ち話すると往々にして居心地の悪い思いをする。自分のプライベート領
域に赤の他人が侵入したような印象を感じるからだ。
(∬)対人接触時の両者間の距離感覚、いわゆる対人距離はそのひとが持っているパーソナ
ル感覚を示すものであり、その距離が形成する空間の中には自分とパーソナルな心理関係
になった人間だけ受け入れることができて、そういう関係になっていないひとが入って来
ると困惑や不快さが上昇する。個々人が持っている快適パーソナルスペースの広さは差異
があるものの、文化全体がひとつの傾向を作り出すために、広いスペースの文化で育った
ひとと狭いスペース文化で育ったひとが対面するとき、違和感が生じやすい。
イ_ア人はパーソナルスペースが広いために、狭い文化のひとと立ち話するとき相手が必
要以上に自分に近寄って来ると感じて居心地悪くなり、不快さが発生する。自分のプライ
ベートな空間に他人が土足で踏み込んだように感じるのだろう。

(∫)会話の中で何かを依頼したり、同意を求めることがしばしば起こる。ところが多くの
文化で沈黙の回答が返されることも頻繁だ。米国人の沈黙回答は否定を意味している。依
頼を受け付けない、同意しない、と沈黙が物語っているのだ。しかしイギリス人の場合は
「多分ノーだろう」というソフトなものになる。
イランでは、男に申し込まれたり誘われたりした女性が黙っているのは了承を意味するが、
ジャワだと女性は沈黙で不承知を相手に告げる。

(∫)会話における語りの応酬にも文化の違いが見られる。東ヨーロッパではたいてい、相
手が語り終える前に話し出したり、語り終えるのを待ち構えていたかのように話し出す。
そして自分の話を長々と続けて途切れさせないようにするから、相手が自分の話を遮った
り割って入ることも再三起こる。相手にそうされるまで自分の話をやめない。
米国人は相手が話し終えるとワンテンポ置いてから自分の話を始める。米国人の会話はテ
ニスのようなもので、同じテーマについての話をやり取りする。日本人の会話は話が短く、
しかもテニスでなくてボーリングのようだ。一方が話し終わると、他方が別の話を語りは
じめる。

(∫)ジャワ人は礼節をわきまえた話し方を重視する。優良なコミュニケーションの原則に
おいては、話される内容だけでなくどのように話すかということも重要な問題になる。場
合によっては内容よりも話し方のほうにウエイトが置かれることもある。ジャワ語の階層
言語であるngoko, kromo, kromo inggilという言語レベルの問題ばかりか、ボディランゲ
ージも話し方の中に含まれる。
ジャワ人は上品で繊細なスピーチを期待する。早口で話したり、圧力がかかって強張った
ような話し方はダメなのだ。対面している相手への敬意を示すために、話すときには体の
前で両手を重ねる。
上位者に向かって話すときは、頭を少しうつむかせ、目も相手の目を見ないようにする。
上位者の顔をまともに見るのは失礼な行為になるのだ。米国人が言うところの「Never 
trust a person who can't look you in the eye.」とは違っている。上位者の前では脚
を組んで座ってもいけない。座る姿勢も背筋を伸ばさず、少し前かがみにする。
[ 続く ]