「インドネシア文化理解(5)」(2023年10月27日) (∫)インドネシア人はおみやげをひとにあげるのを好む。これは国民倫理の一部になって いる。女中でさえ、トアンが旅行するとおみやげを期待する。 昔はパーティが終わると、残った料理をお土産にして持ち帰らせる習慣があった。インド ネシアの家庭に大きい冷蔵庫がなかった時代の合理性が生んだものだ。 (∫)もらったプレゼントに対するお返し品の習慣はインドネシアにない。インドネシア人 は誰から何をもらったかを覚えておき、自分がプレゼントをそのひとにあげる機会が来る と、自分がもらったものと同等かそれ以上のものをプレゼントする。 (∫)米国人は私的な手紙がタイプされていても気にしないが、ロシア人は手書きが当然だ と思っている。ジャワ人は目上のひとに電話することに気後れを抱く。たとえばスルタン に何かを伝えたいと思えば、お目にかかって敬意を表する儀礼を示さなければならないと 考えるからだ。 その原理に従って、だれかが頼み事や寄付・資金融通などを求めてアプローチしてくる場 合、相手が自分にお目にかかって敬意を表する儀礼を示すのが当然だと考える。 (∬)コミュニケーション媒体としての手紙は書かれる内容によって公的なものと私的なも のに区分できる。それをタイプや手書きといったスタイルで区別する文化があり、区別し ない文化もある。 ジャワ人は目上のひとと会話したいとき、直接お目にかかって敬意を表する儀礼を示すの が礼節であると考えているため、儀礼の所作が相手に見えない電話でお耳にかかるだけで は失礼だと感じて臆するのだろう。社会生活における礼節は所作や態度で示すのが頻繁で あるため、助力や金銭の援助を求める者も相応の儀礼を示して当然とジャワ人は期待し、 直接会いに来ずに手紙や電話で済まそうとする人間を、礼節をわきまえない者と見なすに ちがいあるまい。 (∫)インドネシア人は儀式upacaraが好きだ。儀式が行われる場合は必ずだれかがスピー チする。だからインドネシア人はスピーチが好きであり、大勢の前で堂々とスピーチし、 またスピーチの要領もみんな心得ている。 (∫)本当はインドネシア人も形式主義者ではない。人間関係を壊さないようにするための 行儀作法が社会の中に築かれているということなのだ。服装については、インドネシア人 もおしゃれが好きだし、たいてい整然としたデザインの衣服を着こなしている。 (∬)ヒエラルキー構造をしているインドネシア社会だから、上下階層間で行われる対人接 触ではお互いが自分の立場を認識して確認するための作法パターンが作られている。イ_ ア人の中で、好きでそれを実践している者は少なく、大多数はそれを実践しないことで発 生する波風を嫌うがために従っているのだと教授は述べているように思われる。 イ_ア人は概して自分の身を飾ることが好きで、派手さを求める傾向が強いように感じら れる。飾った自分の身を世間に示すには確かに派手なほうが効果的だろう。幽冥の中の美 という観念を感得し審美できる者はもちろんいるものの、社会通念としてはそれほど強く ないようだ。 自分の身を飾って世間に示し、自分が持っている美的センスを評価してもらうことで自己 の存在確認を得ようとするのが世間一般のおしゃれ心理ではないだろうか。しかしそれは 自分の外面を他人のための綺麗な鑑賞物にしているだけだという考え方もある。 美的センスに欠けたべた一面の派手さはもちろん人目を引き、そして「センスのないいな かっぺ」という世間からの見下しと侮蔑のまなざしが注がれるのが実態であるとはいえ、 世間に自分を注目させて自己存在確認を行なうというポイントについては、センスの良し 悪しと切り離しても筋は通るだろう。おまけにセンスの良し悪しの基準が流行によって振 り回されているのが現実だから、世間の評価を絶対的なものと見なさないほうが自己存在 意識の確立には良い効果をもたらすかもしれない。 [ 続く ]