「インドネシア文化理解(7)」(2023年10月31日)

(∫)ムラユ=ポリネシア系文化は概して人間が集団になることを好む。社会交際面のファ
クターは豊富だ。その反作用の中には、他人と競争して自分が高い成果を上げる意欲が低
く、粘り強い姿勢をあまり示さないという性質がある。ところがムラユ=ポリネシア系文
化の人間が日本人や中国人の社会に混じると、競争心や業績志向を示すのである。
業績志向が高くない性格は生産性の低さにつながる。インドネシアは労賃が安いと言われ
ているが、生産性も低いのだ。対業績比率で比較すれば、インドネシアの労賃は台湾や韓
国よりも高いものになる。
業績の低さは労働作業の速さに関係している。インドネシア人の作業速度は速くない。時
間を尊重する観念が弱いことがそこに表れている。alon-alon asal kelakonというジャワ
人のモットーは、成し遂げることに置かれた価値のほうが遅速の価値よりも圧倒的に高い
ことを示している。
(∬)社会交際を重視する場合、ひとは他人といかにうまくやっていくかということを考え
るはずだ。他人と仲良くし、他人に良く思われようと努めるとき、その他人と競争して自
分が勝とうという対立意識はなかなか持てないだろう。
争いのない、暖かい親愛と調和に満ちた社会生活を生み出そうとするなら、たいていの人
間は仲良し理論に走るのではないだろうか。他者との切磋琢磨と仲良し理論が両立する社
会になるためには、うわべだけの仲良し理論でない、もっと深みと奥行きのある成熟した
精神が必要になる。社会の外面的な調和の中にどこまでのライヴァル現象が納まるのかと
いうことがその成熟度の目盛りになるように思われる。
社会構成員が持つべき社会性についてのインドネシア人の意識は高い。社会的な存在とし
ての人間一個人のあり方を善とすればするほど、一個人のプライバシーは軽んじられてい
く。自分の銀行口座の預金通帳を会社の同僚たちに見せているローカル社員の姿はかれら
のプライバシー感覚がわたしのものと異なっていることを示している。異文化に置けるプ
ライバシーの範囲とインドネシア文化のそれが同じであるはずがあるまい。
そしてまた、インドネシア人が社会性という言葉で示している内容がしばしば、社交性を
内容にしていることも起こる。ムラユ=ポリネシア系文化が社会を社交の場と定義付けて
いることをわれわれはそこから感じ取ることができる。

(∫)インドネシア人にcurhatされたら、同情を求められていると解釈しなければならない。
打ち明け話をする者は自分の苦悩を一緒に感じてもらうことを期待しているのだ。インド
ネシア文化はシェアリング文化であり、物品も空間も感情も、あらゆるものごとを分け合
い分かち合って集団が一緒に暮らすのである。
(∬)curahan hatiの短縮形curhatは個人的な問題や包み込んだネガティブな感情をだれか
に聞いてもらうこと。
インドネシアのシェアリング文化には金銭も、そしてプライバシーまでもがかなりの程度
でそこに含まれていることを理解するべきだろう。
[ 続く ]