「インドネシア文化理解(8)」(2023年11月01日)

(∫)豊かな自然が容易な生活を支えてくれたために、インドネシア人は浪費型民族として
有名だった。インドネシア人の暮らしは、経済観念という骨組みにしっかり支えられてい
ない印象が濃い。インドネシア人のパーティ招待状には出欠回答の要請がまったく見られ
ない。そのために用意された飲食物が捨てられることは当たり前になっていた。
(∬)招待された者が誰を誘ってきても自由だから、招待状を出した人数より多めの飲食物
が用意されるのが普通であり、招待者がひとり来ないだけでも数人分が残ってしまう。
わたしがジャカルタで体験した現象のひとつに、マグリブ(日没)のアザンがモスクのス
ピーカーから流れると外の電灯を点ける慣習があった。ジャカルタでは一年中毎日、日没
からおよそ30分あまり残照が続き、空が暗くなるのはそのあとだ。考えても見るがよい。
毎日、家の外周に設置されている数個の電灯が灯りの必要のない場所で電力を消費するの
である。そして毎日、その浪費は意図的に行われているのだ。
電灯を点けるのは日没の直後に悪魔が出てきて徘徊するからであり、小さい子供は日没に
なるとすぐに帰宅しなければ悪魔に悪さされるのだという理由も耳にしたが、どうも経済
観念に欠けたしきたりが維持されているだけではないかとわたしはいまだに思っている。

(∫)米国人は効率主義者であり、効率を高く崇拝している。ジャストオンタイム。サクセ
スやプレステージを手にするためのプロセス。効率は「時間にピッタリ」という時間意識
と深い関りを持っている。
時間を守らず、何をするにも自分の好き勝手なやり方を行なっている、あまり効率的でな
い政府や国民が住んでいる国に行った米国人はフラストレーションに襲われる。
インドネシアでインドネシア人はあまり効率を追求しない。多くの場合に効率はむしろ阻
まれるのである。効率の向上は失業者を増加させるのだ。タバコ会社はオートメ化できる
にもかかわらず、昔からの大量の人間の手作業で一本一本作る方法を継続している。
(∬)タバコ会社は民間企業であるというのに、オートメ化に政府は強く干渉して来る。オ
ートメ化を妨げるために政府は機械巻きタバコの一本当たりのタバコ税を手巻き製よりも
高い税額にしている。
効率という概念は時間が基準として使われているように思われる。時間の観念が異なって
いる文化に、米国人が理解し把握している効率と同じものが出現し得るだろうか。

(∫)インドネシア人は時間の奴隷になっていない。社会交際上で使われている「遅れる」
「遅れた」という言葉は、だいたい30分くらいをめどにしている。
(∬)遅刻という言葉の意味について教授は、30分以上の遅れが標準にされていると述べ
ているようだ。つまり5分や10分、あるいは27分くらい遅れても、イ_ア人は時間に
遅れたという意識を持たないのだろう。
わたしがインドネシアビギナーのころ、やはりイ_ア人の標準ビヘイビアであるゴム時間
jam karetに何度も鞭打たれた。10時に会うという約束をしたから、わたしは10時数
分前にそこへ行って相手が来るのを待っていた。しかし30分が過ぎ、40分経過しても
相手は顔を見せない。11時少し前にやってきた相手に待たされた愚痴を言ったところ、
「今は10時56分だから、まだ10時だ。約束は守っている。」と切り返されて開いた
口が塞がらなかった体験をした。
じゃあ、イ_ア人との時間の約束は分単位でしなければならないのだろうか?それが奴隷
根性というものなのではあるまいか。[ 続く ]