「ヌサンタラのコーヒー(8)」(2023年11月01日)

ニュースメディアがまだ乏しく、おまけに文字情報を正確に理解する能力がまだ低かった
大衆の暮らしに、口伝えではあっても最新情報が得られ、さらにその情報源に質問すらで
きるコピティアムはたいへん役に立つサロンになった。そのようにしてコピティアムはマ
ラヤ半島・シンガポール・スマトラ北部・カリマンタン西部などの華人コミュニティの中
に拡大して行った。類似の現象はインド系社会にも起こり、またムラユ系も歩を合わせて
クダイコピという文化の中に深まっていった。

コピティアムやクダイコピは集団学習や意見交換のアゴラ空間を形成したが、社会全体の
知性あるいは審美性のレベルを高める前衛を生み出す機能を果たした印象は、ヨーロッパ
のカフェ文化に比べて低かったように感じられる。インドネシア有数の哲学者や芸術家あ
るいは若い学者たちが集まるクダイコピがジャカルタやヨグヤカルタの中心部にあるかと
尋ねられたら、首を傾げざるを得ないような気がわたしにはするのである。だが中身の質
的な問題はさておいて、少なくともクダイコピがサロンになったことは間違いないと言え
るだろう。

日本のコーヒーショップや喫茶店でそんなサロン化した場所が歴史の中に出現しただろう
か?いや日本人の場合はコーヒーでなくて酒になりそうな印象が強い。酒のサロンとコー
ヒーのサロンでは、やはり話の内容が違って来るように思われるのだ。酒のサロンとコー
ヒーのサロンの両方を持った文化と、コーヒーだけあるいは酒だけのサロンを持った文化
では、文化自体の体質と言うか、深みが異なって来るのではないかという気がわたしには
する。世界を制覇した者たちの文化というのは、やはり貪欲なものだったのではあるまい
か。


長い歴史の中をくぐり抜けて現代にまで生き残っているコピティアムやクダイコピは数多
い。都市部の繁華街にあるものはたいていがモダンコーヒーショップチェーンだが、そん
な中にも現代まで生き延びたトラディショナルなクダイコピがモダンな姿を身にまとって
新しい者たちと肩を並べている。

一方、モダンライフの陳列台になっている繁華街から外れた場所に、往々にしてトラディ
ショナルな繁華街に、往年の姿のまま年経たクダイコピがその健在な姿を見せている。

南スマトラ州パレンバンのパサルクト地区にあるWarung Kopi Joenの歴史は1960にさ
かのぼる。もともとは屋号などないクダイコピで、パサル周辺の一角にオープンした飲食
店だった。店主の名前を採ってワルコップハジソレハジアナンと呼ばれていたそうだ。世
代交代で創業者の孫が今は店主になっていて、現店主ユンさんの名前をひとびとはその店
の名称にしている。

ワルンコピユンは創業時そのままの姿で同じ場所に建っている。もちろんあちこち老化し
た部分は修理の手が入っているのだが。このクダイは飲み物がおいしく、そしてパレンバ
ンの伝統的食べ物が豊富に置かれているため、人気が高い。bubur ayam, laksan, lakso, 
pempek, ragit, burgo, celimpungan, nasi gemuk, martabak kentangそしてさまざまな
伝統的菓子類が愉しめるのだ。

飲み物はコーヒーの他にもteh susuが人気のあるメニューになっていて、クダイコピにミ
ルクティを飲みに来る顧客も少なくない。コーヒーの場合、この店独特のブレンドコーヒ
ーが供されるのだが、世間一般で供されているkopi tubrukを二度濾したkopi saringの愛
好者もたくさんいる。[ 続く ]