「インドネシア文化理解(12)」(2023年11月07日) (∫)インドネシア社会はヒエラルキー社会であり、構成員のすべてがいずれかの階層に区 分される。berdiri sama tinggi dan duduk sama rendahということわざは、対人接触に おいて自分を相手と同じ高さに置くことの美徳を称える表現だ。ところが野菜を担いで売 り歩く巡回物売り女は邸宅の奥様が野菜の品定めをするとき、立ったり中腰でいる奥様と 同じ高さに自分を置こうとせず、必ずしゃがむ。 昔のジャワでは、中流以上の貴人は名前の前にラデンやラデンアユなどの尊称を付けるの が当たり前になっていた。 (∫)インドネシアは垂直方向のオリエンテーションが強い社会であり、上司やリーダーな ど上位者への依存性が顕著だ。封建制やコロニアリズム時代の残滓をいまだにひきずって いる。王が国家に関するあらゆることを決めるように、父権制社会では家父長が家庭内の すべてを決める。中央集権的政治構造においては、あらゆることが上で決められて下に降 りて来る。下位者は失敗を恐れてイニシアティブを振るわず、創造性を働かせない。 (∫)インドネシア人の処世哲学の中にあるABSは特徴的な文化の果実である。 インドネシアの子供たちは、自分が話したり振る舞ったりする行為行動が他人に心地よさ を与えるように指導教育される。その結果、社会生活やビジネス生活において下位者は自 分の振舞いが上位者を歓ばせて心地よさを感じてもらうように努めるオリエンテーション を持つに至る。それが尊敬を実体化させることになるのだ。 悪い事実をありのままに述べては、上司は不愉快な思いをするだろう。上位者が聞いて喜 ぶこと、聞きたいと期待していること、をその耳に入れるのが相手への尊敬を示す下位者 の態度になる。われわれはバパを歓ばせたいのだ。上位者のバパが恥ずかしい思いをしな いで済むように。 しかし上位者のバパが現場の実態を知らないでは、バパが仕えるもっと上位の人たちの面 前で体面を失うことになる。だから上司のバパは、部下からABSを聞かされてもいいよ うに、部下のルートとまったく切り離された別のルートで顧問を持ち、このABS構造に 対処しようとするのである。 (∬)ABSとはAsal Bapak Senangの頭字語だ。「バパが歓ぶ結果になるかぎり」を意味 している。組織の上位者は現場がよく整えられてうまく収まっており、問題やトラブルが 何も起こらないことを期待している。すべてがうまく回っていればバパは歓ぶのだ。現場 で起こった悪いことを耳に入れたら、バパの歓びは目減りして行く。尊敬するバパには最 大の歓びを差し出すのが部下の務めなのである。 組織内における上司と部下の関係は職場での役割分担でなく、疑似的な親子関係になって いる。ABSという言葉は決してビジネス世界に限定された用語でなく、家庭生活や社会 生活の中にも出現する。 (∫)組織の中の上司と部下の関係は、インドネシアでは上司が部下の私的な問題にまで関 与しなければならない。業務外の私的な問題においても組織内の上下関係がそのまま持ち 込まれる。対等な関係にはならない。 国家公務員の妻の組織であるダルマワニタが夫の業務評価や昇格の決定に影響を及ぼすこ とも起こりうる。 (∬)この現象はしばしば家族的な社会生活という言葉で語られている。温かい家族的な人 間関係が善であり美であるという家族主義を奉じる社会は、社会生活の中で他人に対して も父母兄姉弟妹などの家族内の立場呼称を使う習慣を養った。血縁関係になくとも、自分 を父と呼ぶ人間に対して父のごとく振舞うのが良き社会人のあり方になるのである。 ただしこの家族主義は別の面も持っている。個人の評価の中に、その個人の家族の影が映 りこんでくるのだ。個人が個人として見られず、個人の所属集団の色が混じりこんで不純 なものになる可能性が常に存在している。[ 続く ]