「インドネシア文化理解(14)」(2023年11月09日) (∫)依存し合い、互いに助け合う、麗しい共同体文化を持つインドネシアでは、ゴトンロ ヨンが社会倫理にまで高められた。相互依存に価値を置く社会では、個人の自立は反社会 的傾向を帯びる。結果的に、子供の教育としつけは個人の自立を重視しないスタイルで行 われてきた。 インドネシア人の家庭生活において小さい子は必ず女中や兄姉に助けられるので、子供自 身が自立への欲求を持たなくなる。そんなひとびとが大人になって構成する社会も同じメ ンテリティで運営される。米国人お好みのパイオニア精神やアドベンチャー精神がインド ネシア人のメンタリティに芽吹いて花開く機会は稀有なものになる。 移住政策トランスミグラシで成功している地方はたいてい全村あげて移住したケースだ。 ジャワ人のmangan ora mangan asal kumpul哲学がその面の基盤を成しているように思わ れる。 (∬)オランダ人が始めた過疎地域開発のためのトランスミグラシ政策では、家族単位のグ ループが集まっただけの集落はより広範囲な生活領域における共同体意識が醸成されるま でに時間がかかるため、伝統化した集落全体のしきたりが最初から運営されるケースに比 べてなかなかスムーズに発展しないのだろう。ジャワ人の「食べても食べなくても、集ま ってりゃそれでいい」哲学は、自己存在を孤にできない宿命の人間が互いに一緒にいるこ とでその存在を安定させる心理を語っているようにわたしには思われる。 個人は容易に孤(独)人になる。それが人間の宿命だからだ。自分が個人であるのは好きだ が孤人になるのは嫌だというひとは、本源的な孤独を自分の想念から追い払って忘れ去る ことで幸福の影の下に自分を置くことができるだろう。依存し合う共同生活の中では孤を 否定することができるのだ。そこに安住すれば、たいていの人間は幸福な思いをするにち がいない。幸福感もきっと高まるはずだ。孤人になりがちな自分をきっぱりと捨て去りた ければ、自分が個人であることをやめて帰属する集団の一部品になればよいという理屈に なる。 (∫)米国人は個人意識がとても高い。日本人は所属集団アイデンティティがとても強い。 インドネシア人は個人意識が米国人に比べて劣り、所属集団アイデンティティも日本人ほ ど強くない。 米国人は子供のときから自主独立をしつけられるので、他者への依存を嫌う。インドネシ ア人は他者への依存心がとても強い。幼児期からの養育において子供は常にだれかに扶け られる。共同体生活も他人と依存し合うものになる。中央集権制度が依存を助長する。 常に上からの指示を待つ姿勢が心理の中に育まれ、自分で考え、結論を出し、それを自分 だけの力で行動に移す勇気が育たない。イニシアティブはか弱く、失敗を恐れるために上 位者への依存が強まる。封建制やコロニアリズムは下位者のイニシアティブを抑圧するの で、オランダ統治下のインドネシア人はオランダ人の用意した揺りかごで子守歌を聞かさ れながら安眠していた。それがterima beres dan enakというものであり、つまりは満足 できるものを他者に全面依存して手に入れ、そこに心地よく安住するのである。 (∬)中央集権制度というのは国家統治・社会統治でのものだけでなくて、社会生活・家庭 生活の中にも出現する。父権制・家父長制などというものはたいていの場合、最終決定権 がひとりの人間の手の中に集中する中央集権制だ。教授はそのことを言っているのだろう。 オランダ統治下でプリブミが心地よく眠り呆けていたというように読める教授の揺りかご 話は依存心についてのものであって、プリブミが心地よい暮らしを楽しんでいたというこ とでは決してない。国家社会制度を構築して運用するような仕事をしないでも、オランダ 人がそれをしてくれるのだから、そこはオランダ人に依存してトゥリマベレスにかまけ、 あとは決められたDo's and Don'tsに従っていれば、まあなんとか食っていけるだろう、 という考えを指していると思われる。オランダ人が定めたDo's and Don'tsは言い換える と、その正体は苛斂誅求だったのだが・・・・ [ 続く ]