「インドネシア文化理解(16)」(2023年11月13日)

(∫)インドネシアの子供たちは甘やかされて育つ。おとながいろいろと世話をするのだ。
食事は食べ物をスプーンで口に入れてくれる。泣くと抱いてくれる。寝る時はおとながあ
やして眠らせてくれる。夜の就寝は母親と同じ部屋の同じベッドで眠る。両親祖父母兄姉
のみんなが甘やかしてくれる。愛情に包まれた幼児期の暮らしとしては理想的だろう。し
かし自立という面については劣悪なものになる。

(∫)インドネシアの子供たちは両親が言うことを鵜呑みにして受け入れるように習慣付け
られる。親や先生が答えられない質問を子供がすると、子供のほうが叱られる。子供と親
が話し合い、討論し、意見交換する場面はインドネシア社会に少ない。親の言うことに子
供が反対意見を述べると、親は怒るのである。
子供が成人しても、親は子供に影響を振るおうとする。成人した自分の子供をいつまでも
未成年扱いし、その生活に干渉しようとするのだ。
(∬)30代後半のインドネシア人男性がいた。かれは10年ほど貨物船やタンカーの乗組
員として働き、最終的に米国に移住するプランを立てた。船から米国に上陸してそのまま
逃亡し、オーバーステイを何年が続けたあとグリーンカードを取得し、それから妻子や親
族の希望者を米国に呼ぼうという算段をしたのだ。かれの両親もそこに含まれていたそう
だ。それがそう簡単にできることなのかどうかわたしにはまったく判らないが、本人には
確信があったようだ。
かれは不法滞在のまま数年間米国で働き、ジャカルタに仕送りした。かれにはジャカルタ
に妻と二人の子供がいて、長女はハイティ―ンの娘になった。かれからの仕送りのおかげ
でジャカルタの妻子は経済的に困らない暮らしをするようになったのだが、あるとき不幸
がこの一家を襲った。長女が麻薬を覚えたのである。
かれの仕送り金を貯めてある銀行口座は長女が握っていた。かれの妻は小学校も終えてい
ない人間であり、銀行の諸手続きを自分でやりおおせる自信がなかったから、銀行関連の
ことがらは長女にさせていたのだ。
一般庶民の口座残高をはるかにしのいでいた銀行口座はあれよあれよという間にやせ細っ
てしまった。そしてそれが発覚したとき、妻は夫の両親に対策を相談した。両親は孫娘の
不始末と父親不在を結び付けてあっさりと結論を下した。「ジャカルタ二スグカエレ」
米国でグリーンカード取得の動きを始めようとしていたかれはすべてを投げ捨てて、今度
は米国から脱け出す算段を始めたのである。かれが何年もかけて行ってきたすべての努力
とリスクは親の一声で水の泡となった。
そしてジャカルタに戻って来てからかれは失業者のひとりになり、宝石貴金属骨董品など
の委託をもらって買い手を探し、売れたら手数料をもらう境遇に落ち込んだ。かれの一家
はまた昔のような貧困生活の中で、家族の結びつきを大切にしながら暮らしている。そう
いう実話をわたしはジャカルタで1990年代に見聞した。
[ 続く ]