「隠喩」(2023年11月17日)

ライター: オボル財団編集者、ヤンワルディ
ソース: 2015年1月17日付けコンパス紙 "Tikus dan Jam Karet"     

語学の発展のおかげで今やわれわれは、「意味」というものが人間の思考の中に各個人ひ
とりひとりの生活体験を踏まえて存在しているものであることを確信している。しかしな
がら、その「意味」というものはその言語話者の社会慣行と必ず関連しているために、社
会の中での機能が成立するのである。

2014年12月9日付けコンパス紙第一面に、腐敗行為の文脈を持たされてネズミの像
の大きい写真が掲載された。現代社会人の思考の中にあるネズミは単に「かじりまわる小
動物」を示すだけでなく、「汚職者」という意味をも持っているのだ。その意味は思考の
中に隠喩として出現した。つまりネズミという動物が持っているあらゆる性質で形成され
ている生物としての概念が別の生き物(汚職者)に擬せられたのである。例える規準は同
一性あるいは類似性だ。このコンテキストにおいてネズミという動物は害をもたらすもの
であり、あらゆるものをかじり、あらゆるものを食い、環境を汚すのである。そのような
概念が汚職者に関連付けられ、さらには、公金をつまみ食いし、国庫を蝕み、政府の金を
懐に入れるというような経験的知識の枠の中で「汚職者はネズミだ」という隠喩が成立し
たのである。


隠喩は今や、単なる言語スタイルや装飾機能だけのものでなくなり、人間の思考基盤に組
み込まれている。それゆえに隠喩は認知言語学における主要研究対象になっている。その
分野の主導者であるラコフとジョンソンは、隠喩は人間の日常生活の中に思考と行為を通
して出現すると論じている。オフィスへの出勤に遅刻したとき、われわれは給料カットの
罰を受けるかもしれない。反対にオフィスへの出勤が時間通りあるいは早い時間になされ
たときは、金銭の褒美を与えられるだろう。そのメカニズムは「時は金なり」という公理
の隠喩として作動している。

Time is money.という西洋文化に由来したものであっても、グローバリゼーションと時代
の要請のためにこの隠喩はわれわれの日常生活の中に浸透してきた。「時は金なり」から
派生して「時間の節約」「時間の浪費」「時間を食う」「時間通り」などの別の比喩が作
られたのは何ら不思議なことでない。しかし「時は金なり」という隠喩はまだまだわれわ
れの日常生活の中に共通の価値観として浸透したようには見えない。つまり完全にわれわ
れの文化の一部になったわけではないのだ。われわれの文化の中には「時は金なり」と衝
突する比喩や表現がとてもたくさんある。たとえば「ゴム時間」「明日がある」「遅れて
も安全な方が良い」「時間はたっぷりある」「急いてはいけない」等々。

ゴム時間という隠喩は「時間を引っ張る」「プログラムの進行が伸び伸び」「時間はフレ
キシブル」などの表現を生んだ。個人個人の思考の中にふたつの隠喩が交錯していること
がかれらの日常生活の中に起こる正反対の行動から判断できる。たとえば時間を節約した
いひとが約束の時間に遅刻して来たり、精勤賞を狙っているにもかかわらずオフィスに遅
刻出勤するといったことだ。

人間の思考の中に存在している点を踏まえて、隠喩と意味の活用方法をわれわれはそれら
の例の中に見出すことができる。たとえば恥ずかしい感情を沸き立たせるための当てこす
りに使うことで、隠喩として使われたネズミの真似をしないよう公務員に自戒させるとい
うようなことだ。

一方、「時は金なり」と「ゴム時間」の隠喩は、隠喩というものが文化に関わっているこ
とを示している。そのために隠喩の創造や採用がポジティブなコンセプトに向かうように
留意しなければならない。それを怠ると日常生活の中の振舞いが規範や妥当さから逸脱し
たものになりかねない。政治家がゴム時間の実践をたいそう好んでいるように。