「ヌサンタラのコーヒー(24)」(2023年11月23日)

チカオバンドンの船着き場は海抜40メートルの高さにあり、チタルム川の流れに乗って
コーヒー豆を積んだ船は45キロ離れたタンジュンプラ要塞に達した。カラワンのタンジ
ュンプラに要塞が設けられたのは1678年のことであり、VOCがジャワ島内でバタヴ
ィアから遠い場所にはじめて作った要塞だった。名前は要塞だったが軍事上の防衛能力は
たいしたレベルで備えられてはおらず、地域の保安・商品輸送の便とその安全・地域の警
察と裁判などの諸機能を果たすための拠点として作られたものだった。

18世紀にプリアガンでコーヒー栽培が盛んになってから、タンジュンプラ要塞はチカオ
バンドンから下って来る船のチェックポイントとしての機能を持たされた。

コーヒーを積んだ船はタンジュンプラ要塞を通過してから更に下流に向かい、85キロを
踏破してムアラグンボンの河口に達した。海が引き潮になったときは船が河口に向かって
矢のように走ったそうだ。


時代の進展とともにジャワ島東部地方に向けてコーヒー栽培が広げられて行くにつれて、
プリアンガーコーヒーは王座から滑り落ちていった。VOCがヨーロッパにもたらしたジ
ャワ島産のコーヒーが最初タタルスンダで穫れたものだったのは既述の通りだ。ヨーロッ
パでそれはJave Preangerと呼ばれ、コーヒー通はa cup of Javaと呼びならわした。

タタルスンダでのコーヒー生産はファン・デン・ボシュの時代を超えた19世紀半ばごろ
からサビ病の流行によって枯死する木が増加し、農園主たちに植生の転換を促す要因のひ
とつになった。おかげでタタルスンダで栽培されるコーヒー量に低下が起こり、茶葉の後
塵を拝することになったのである。

1997年、コーヒー栽培活動がタタルスンダのいくつかの場所で小規模ながら活発化し
はじめ、2012年に収穫がヨーロッパに輸出された。2012年から2015年までの
輸出総量は187トンで、130万米ドルの外貨を稼いだ。ジャヴァプリアンガーの復活
への一歩が踏み出されたのだ。


西ジャワ州農園局の2010年データによれば、年間栽培面積と生産量は次のように推移
している。(2007年⇒2010年)
【栽培面積】
茶葉 53,077 ⇒ 48,744Ha
コーヒー 24,637 ⇒ 29,207Ha
【生産量】
茶葉 30,717 ⇒ 32,135トン
コーヒー 8,605 ⇒ 13,783トン

昨今の西ジャワ州優良コーヒーの産地はバンドン市南部に広がるバンドン県とその東南に
隣接するガルッ県に多い。
Gunung Halu チアンジュルに近い西バンドン県
Ciwidey バンドン県
Gunung Puntang バンドン県
Gunung Malabar バンドン県
Pangalengan バンドン県
Gunung Guntur ガルッ県
Cikajang ガルッ県
Cikelet ガルッ県
[ 続く ]