「ヌサンタラのコーヒー(25)」(2023年11月24日)

プンタン山の名はマラバル山の陰に隠れて、あまり知られていなかった。バンドン県バン
ジャラン郡のプンタン山とティル山間の谷間の村では住民の植えたコーヒーの木が昔から
あったが、仲買人の買値があまりにも廉価だったためにその地方のコーヒー栽培はまった
く冷め切った状態が続いていた。生垣に使われたり、庭や畑に生えている木に実が生るか
らそれを売るだけというありさまになっていたのである。

2011年に変化が起こった。プンタン山麓にコーヒー農園を作ろうという人物が出現し
たのだ。アイ・ステジャ氏がガルッのグントゥル山稜からコーヒーの古木をプンタン山麓
に移し替えた。ヘクタール当たり1千本が植えられた。この土地のほうがもっと良い実を
付けると確信して。そのときかれはまだ46歳だった。これは2016年のコンパス紙に
掲載された記事だ。


バンジャラン郡パシルムリヤ村コレラガ部落に建てられた温室には厚いプラスチック板が
張られていて、中の温度は40℃に達している。だがそんなことを気にもかけず、黒い長
袖シャツを着た温室の持ち主アイ・ステジャ氏51歳はその中で、竹製の棚いっぱいに広
げられた細かい網状の容器に置かれているアラビカ種のコーヒー豆をひと粒ひと粒ひっく
り返している。

「去年のSCAAエキスポで、この木に生った豆が55米ドルで競売されましたよ。」
SCAAとはスペシャルティコフィーアソシエーションオブアメリカのことだ。そのとき、
かれのコーヒー豆は評価テストで86.25ポイントを獲得し、インドネシアから出品さ
れた17種のコーヒーのトップランクに輝いた。熱帯フルーツの種々のアロマ、些かの酸
味、そして口の中で尾を引く甘い後味。評価者たちはそのバランスを好んだ。


登山を趣味にするアイはコーヒー栽培を書物やコーヒー農民の話から独学で学んだ。それ
まで電気設備施設業者のひとりだったかれは、大自然の中に自分の居場所を求めたのであ
る。かれは自分が生きる環境をより良いものにしようと決意した。化学肥料は一切使わな
い。コーヒー木の生育を保護するために、根を強く張るアボガドやジャンブの木を周囲に
植えて、激しい日射を直接受けないようにした。それは同時に表土流出を抑制する役割も
果たした。

植えてから4年後に初収穫が得られた。そして米国での高い評価。プンタン山麓の自然を
保護していくこと、そしてコーヒー農園を世話する地元民がより良い生活を楽しめること、
それらの目標の目途がついたことにアイは多少とも安堵している。


西バンドン県ハル山でコーヒー栽培を行っているウィルダン・ムストファ氏49歳もアイ
のようにコーヒーにとりつかれた門外漢だった。4年前にかれは全国有数のコーヒーの産
地を巡り歩いてたくさんのことを学んだ。

北スマトラ州でめぐり会ったsigararuntangがハル山で栽培するのに適しているとかれは
思った。雨量の大きい、標高1千メートルの高所で栽培するのに適している。バリ島で見
つけたkopyorは枝を張っている巨木が作る天蓋の下でよく育つ特徴を持っている。コピヨ
ルを使えば、ハル山に茂っている巨木を切り倒す必要がない。それらの木を西バンドン県
シンダンクルタ郡のムカルワギとウニンガリの農園に植えよう。

そして数年後の収穫にこぎつけたあと、かれの育てた豆はSCAAで17種のインドネシ
ア産コーヒーの中の第二位に評価されたのである。かれはさらに新種の開発に意欲を燃や
している。今は自分でFrinsa種と名付けたコーヒーに大きい期待をかけている。かれはシ
ガラルンタンと5種類の野生の木をかけ合わせたものをフリンサと命名したのだ。フリン
サは一本の木におよそ2キロの実をつける。2015年に東ジャワ州コーヒーカカオ研究
センターが開催した全国優良コーヒーコンテストでフリンサは最優秀賞を獲得した。

世界で評価されたコーヒーを自分が作っていることは大きい誇りをもたらしてくれるが、
自分の農園で働いている50世帯の地元民の生活が向上するのはもっと大きい喜びになる
とウィルダンは語っている。[ 続く ]