「クンタオ(6)」(2023年11月27日)

その時代の「賑やかな市街」という言葉は路上をたくさんの通行人が歩いていたという情
景を示しているのである。もちろんその中には天秤棒で荷をかついだり、荷車に貨物を載
せて押したり引いたりする者もたくさん混じっていた。

映画もまだ発明されていなかったその時代、一般庶民の楽しみは各地を巡業してまわるコ
メディ、スタンブル、ワヤンオランなどの一座がスマランの町に舞台を張るとその見物に
集まるくらいで、庶民が金を使う娯楽はほとんどないようなものだったから、稼ぐ金額が
小さくても質実な生活を営んでいれば十分に暮らしていけた。

もちろん金持ち華人がそんな生活で満ち足りるはずがなく、ガンベセンには賭博場があっ
たし、アヘン吸引所や酒と女で遊べる店も営業していた。そのような場所はプリブミ庶民
にとっての異界魔界に等しいものであって、かれらが近寄る場所ではなかった。


オランダ人・華人・プリブミを問わず行政高官や金持ちなど上流階層のひとびとは、夕方
になると馬車で郊外の景色の良い場所へしばしば家族連れで出かけた。レシデン閣下の馬
車はミロール型の客車をオーストラリア馬2頭に引かせたもので、御者と助手はモールと
金メッキのボタンで飾った黒の制服を着ていた。

レシデンの部下に当たるレヘントやパティも馬車を持ったが、上位者への敬意を示すため
にレシデンの馬車をしのぐ華美な飾りつけはせず、備え付けられる傘の大きさで誰の馬車
なのかが判断できた。


時のスマランレシデンの座にあったのはファン・ホーヘンベルフ閣下だ。マディウンの副
レシデンを務めていたころから有能公正でだれにも優しく振舞う人間性が世の中に認めら
れ、政庁内行政機構の中でのみならず原住民社会にもたくさんのファンができて将来を嘱
望されていた。

ある日の夕方、レシデン閣下が妻と娘を連れて馬車で郊外の高原に遠出をしようとしてい
たところ、レヘントが急用を持って訪れたために政務を優先せざるを得なくなった。レシ
デンは、夫人とまだ少女のネリーお嬢さんがふたりだけで出かけるように言い、自分はレ
ヘントと執務室に入った。

女ふたりが乗っている馬車はレシデン邸を出てヒーレンストラートに向かう。そのころは
貴人の馬車と路上で出会うと、通行人は道路の端に寄って帽子を取り、プリブミ庶民はし
ゃがむのがしきたりになっていた。華人は帽子を取ってお辞儀した。

ドゥエッ〜グンディガンの四辻にさしかかったとき、突然馬が興奮して暴れはじめた。助
手が降りて馬をなだめようとしたものの、効果がない。それどころか、いきなり二頭とも
に走り出したのである。御者が手綱を引いて止めようとしたが制御不能になった。客車の
女ふたりは悲鳴をあげた。

路上にいるひとびともこの突然の異変に驚いて騒ぎ始めた。たいていのひとは「助けて!
助けて!」と叫ぶばかりで、それ以上のことはしない。と言うよりも、自分が何もできな
いことが解っているのだ。レシデン夫人はまだ幼い娘を抱きしめて震え上がっている。御
者は御者台から周囲の通行人に「馬を止めてくれ!」と叫び続けているが、馬の扱い方す
ら知らない人間に暴走する馬の止め方など分かるわけがない。同情心に突き動かされて馬
車と一緒に走る者が何人もいたが、かれらも御者と同じ言葉を叫ぶばかりだった。[ 続く ]