「クンタオ(7)」(2023年11月28日)

そのころ、ベー・カンピンは同僚のソウ・カムチャイとアルナルンでぶらぶらしていた。
とそのとき、騒ぐ物音が遠くからこちらに近付いてくるのに気付いて注意を向けた。西の
方角から暴走する馬車が大勢の人間に取り巻かれてこちらに走って来る。「馬を止めてく
れ」と言うひとびとの叫び声がかれの耳にはっきりと入ったから、カンピンは何が起こっ
たのかをすぐに察した。

カンピンは路上に立ちはだかって馬車が近寄って来るのを迎えた。馬がカンピンをひずめ
にかけたと思った瞬間、かれは2頭の馬をつないでいる横木をわしづかみにして力をこめ
た。馬が止まった。カンピンはしばらくそのままの姿勢を続けた。

レシデン夫人はネリーを抱えて馬車から降り、馬車を止めてくれた華人に目を止めてから、
アルナルンの南側にあるレヘント邸に急ぎ足で向かった。レヘント夫人であるラデンアユ
はレシデン夫人が徒歩でやってきたのに驚いたが上司の夫人を歓迎して茶の用意をした。

レシデン夫人はついさっき起こったばかりの恐怖のできごとをラデンアユに物語り、暴走
馬車を止めてくれた新客華人が何者なのかを調べてほしい、と依頼した。ラデンアユはす
ぐに使用人にそれを命じ、ほどなく戻って来た使用人からベー・カンピンの名前とマヨー
ルチナに雇われているクンタオの達人だという報告を受けた。

一方路上では、馬の荒れが鎮まってからカンピンは御者に馬だけを厩舎に連れ帰るよう勧
めた。四辻に取り残された助手が追いついたので、御者と助手はそれぞれ馬だけを引いて
厩舎に戻り、別の馬を連れてきて馬車につないだ。そしてレヘント邸に馬車を回し、レシ
デン夫人とネリーをレシデン邸に連れ帰った。

翌日、レシデンが自らマヨールチナの屋敷を訪れた。レシデンは夫人から聞いた話をマヨ
ールに物語り、たいへんな力と技を持つ人間をこの目で見てみたいので会わせてほしいと
頼んだ。さっそくマヨールはカンピンをそこに呼んだ。

レシデンはカンピンに礼を述べ、形だけの謝礼だが受け取ってくれと言って50フローリ
ンの入った封筒を手渡した。そしてカンピンの仕事の内容や、クンタオの修行の話などを
聞き、レシデンは喜んで帰って行ったというのがこの話だ。


別の折、カンピンはクドゥスからパティ、ラスム、ルンバンを回ってアヘンを届ける馬車
の護衛の任に就いた。そのころクドゥスのプチナンに華人の金持ちが住んでいた。20年
くらい前にアモイからやってきた新客で、最初はスマランの親戚の家に着の身着のままで
転がり込んだそうだ。そのころの名前はチュン・ヒアンと言った。

スマランで数年暮らし、その間、厄介になっている家の仕事を手伝いながらジャワでの生
活と商売について必要な知識を吸収し、クドゥスに移って自分の商売を始めた。まず焼き
物の食器類を扱い、徐々に商売が進展しはじめたころに塩魚を扱うようになった。華人系
プラナカン娘と結婚したのはそのころだ。夫婦の間には男女それぞれ3人の子供ができた。
妻の母親の暮らしが気の毒だったので、引き取って自分の家に住まわせた。

かれは自分がそうされたように、同郷の新客を迎え入れて仕事を手伝わせ、給料を与えた。
つまり使用人にしたわけだが、この種の恩がからむ雇用関係というのは現代的な雇用関係
とはまた色合いが大きく違っている。かれはそんな使用人のひとりに大きくなった長女を
娶せて自分の婿にした。

商売はさらに発展してクドゥスの華人コミュニティでひとかどの分限者と認められ、成功
者のラベルが貼られた。プチナンに家を何軒か持ち、商売のための牛車を数台持ち、そし
て離れた場所にヤシ農園を持った。

クドゥスに移って成功者になったかれは、自分の名前をチュン・ゴアンヒアンに変えた。
二文字の名前は大人tayjienの貫禄にふさわしくないということなのだろう。二文字名の
者が成功者になると三文字の名前にするのが華人の習慣だそうだ。[ 続く ]