「クンタオ(8)」(2023年11月29日)

クドゥスのプチナンはBitingan地区にできた。パサルビティガンはクドゥスのアルナルン
から1.5キロほど南にある。チュン・ゴアンヒアンはプチナンの目抜き通りに邸宅を建
てて住んだ。通りの中心部にある一番大きな邸宅がかれの家だった。華人富裕者層がどこ
の町でもそうしたように、邸宅の建築様式は中国式のもので、壁には煉瓦を積み屋根は瓦
葺きだった。

そこには敷地の上にふたつの建物が作られてつなぎ合わされた。表屋は前と両脇に出入口
を設けたが、裏屋は表屋とつながるところにしか出入口がなかった。かれはそんな方法で
使用人が荷抜けするのを防いでいたのである。自分が表屋の出入り口を見張っているかぎ
り、使用人がひそかに商品を外に持ち出したり外の仲間に渡すことはできない。


その時代の新客成功者は、コミュニティで分限者のひとりに数えられるようになったあと
でも貧困時代のライフスタイルを続ける者が少なくなかった。子孫のプラナカンたちとの
大きな違いがそれだった。いくら同じような中華文化に即したライフスタイルを示してい
ても、プラナカンは稼いだ金で人生を愉しむことが重要な目的になっていた。

ゴアンヒアンの普段の食事は白飯と塩魚や豆腐、野菜あるいは漬物だけで済ませ、着物も
ほころびや破れが何カ所もできるまで新品に替えなかった。ひんぱんに水牛肉や豚肉や牛
肉のおかずを妻が用意したために、妻が夫に叱られたという話もある。だからゴアンヒア
ンもクドゥスの華人コミュニティでは吝嗇のシンボルのように言われていた。

ゴアンヒアン自身が毎朝暗いうちに起きて商売の準備を始め、ザルの用意などを自分で行
い、夜明け前からパサルに行く。大店を構えたあとでも、かれの昔からの日課には変化が
起こらなかった。使用人が出勤しようが休もうが、かれにはどっちでもよいことだったよ
うだ。かれのカレンダーからは休日という文字が失われていた。


7月のある夜、寝静まったプチナンに火事が起こった。ゴアンヒアンの邸宅の表屋で出火
したのだ。折からの強い風が乾季で乾いた家屋に火の回りを速めさせたため、その家の者
は火と煙の中で目を覚まし、命からがら家の外に逃れたのだった。もちろんゴアンヒアン
も例外ではない。

外に逃れてほっとした直後、かれは自分のたくわえた金のことを思い出し、このままでは
すべてが灰になってしまうと考えて断腸の思いに駆られた。その当時、鉄製金庫などとい
うものはまだ珍しく、たくわえた金銭を錠前の掛かる頑丈な木の箱に入れて保管するのが
普通一般の華人事業者たちのならわしになっていた。海賊船の物語によく出て来るあの宝
箱みたいなイメージの箱だ。その箱は燃えるのだから、中身も燃えるに決まっている。

20年の歳月をかけ、身を粉にして働き続けた結果できた自分の分身がその全財産だとゴ
アンヒアンは感じていたのだろう。その半ば以上がいま目の前で灰になろうとしている。
それを正気で見ていられるわけがない。

ゴアンヒアンは傍らに立っている妻に「アイヤー。金箱を持ち出すのを忘れたぞ。あれを
取ってこなきゃ。」と言って火の中に入ろうとしたから、妻は夫にしがみついて止めた。
表屋の入り口は燃え盛っていて、たとえそこを通って中に入れたとしても、二度と出て来
ることはできるまい。

妻は周囲にいるひとたちに「このひとが無茶なことをしないように止めてください。」と
叫んだから、隣人が服をつかんで制止しようとした。しかし冷静さを失っているゴアンヒ
アンは「金を、金を・・・」と叫びながら制止の手を振りほどこうとして暴れる。

数十人のひとびとが火勢を弱めようとして建物に水をかけたり火を打ち崩したりしている
が、火は表屋の全域を包み始めた。[ 続く ]