「ヌサンタラのコーヒー(28)」(2023年11月29日)

この地方におけるコーヒー豆の生産をPTPN IX社が一手に担っているわけでは決してない。
スマラン県ジャンブ郡ブランカル村には40軒を超えるコーヒー生産農家の組合がある。
海抜5百メートルを超える高所にあるブランカル村は地味が肥えているものの水の便が悪
く、水稲栽培に適していない。かれらは遠い昔にコメの栽培からコーヒー栽培に切り替え
たのだそうだ。オランダ人がコーヒー農園事業を進めたころ、地元民の中にそれに倣った
者が出たのが事始めだったのかもしれない。

摘んだコーヒーの実から豆をつくるのに、たいていの組合員が発動機で動かす機械を使っ
ている。豆は大きさや形が選別されてから、50〜60キロを南京袋に詰めて、農家の建
屋の中に設けられた保管倉庫に貯えられる。豆を販売するときに天日乾燥が行われる。正
しい保管方法を行なって豆の市価が上昇したときに売ると農家は大きく儲けることができ
る。しかし上手な保管ができなければ、市価の値動きなど関係なしに、小出しに販売して
金に換えなければならなくなる。


カンプンコピバナランが庶民向けの体裁になっているのと対照的に、そこからあまり離れ
ていないマグラン県グラバッ郡ロサリ村にコーヒー農園を使った5星級のアグロ観光リゾ
ートがある。ロサリ村はマグラン県とスマラン県との県境に位置しており、この海抜9百
メートルの高原リゾートは周囲に八つの山々を従えていて、遠くそびえる山の姿を折に触
れて楽しむことができる。

東にMerapi, Andong, Merbabu,Telomoyo、西にSumbing, Sindoro, Prahu、そして北には
Ungaranという八山がロサリを囲んでおり、このリゾートに身を置けば、熱帯の灼熱の太
陽が照りつけているというのにそれほどの暑さを感じることなく山々の遠景を楽しむこと
ができる。それを含めて、高原の涼風の中でかつて古き良き時代を謳歌した農園主たちの
豪奢な暮らしの一端を垣間見る機会がこのロサリに用意されているのだ。

Losari Coffee Plantationと命名された総面積20Ha超のこのリゾートには26のさまざ
まなサイズのヴィラがあり、普通一般のリゾートが持っている施設に加えてコーヒー農園
を散策したり、農園作業の見学などもオファーされている。

長い間使われていなかったこのコーヒー農園は、リゾートになると同時にコーヒー生産が
再開され、収穫されたコーヒー豆はLosari Java Roseの名を与えられてリゾートの看板商
品のひとつになっている。リゾートを訪れた客はコーヒーショップやレストランで、ある
いは寝室で、このロサリジャヴァローズの味覚を満喫することができる。


来訪客が必ず訪れるフロントリセプションカウンターは少々変わった建物の中にある。こ
の建物はなんとジャワ島最古の鉄道駅舎のひとつだったのだ。ジャワ島で一番古い駅舎は
1864年にスマラン市内のKemijenに建てられたもので、そこがオランダ東インド最初
の鉄道発起点になった。

次いで1878年にジュパラ県のMayong駅に設けられたものが二番目に古い駅舎だ。その
マヨン駅舎がはるばるとロサリに運ばれてきた。そのとき、マヨン駅舎はまさにこの世か
ら姿を消そうとしていた。古びて使い物にならなくなったこの駅舎は、建物を分解して材
料に使われているチーク材を売却する直前という状況下にあったのである。

ロサリに運ばれた駅舎は建てられた時に使われたチーク材をすべてそのまま再利用した。
建物内部はリフレッシュされて再塗装がなされたとはいえ、外見は過去のままの姿を残す
ように配慮されている。

それが駅舎であったことを証明するかのように、昔の鉄道駅で列車運行のために使われて
いたさまざまな道具器具類があちこちに飾られている。列車の到着を待つ乗客のために駅
に置かれていたベンチまでがそこに運ばれてきている。

ロサリコーヒープランテーションの訴求する、今は古い昔になったオランダ時代のジャワ
を顧客にアピールする第一ステップがそのリセプションコンセプトであるようだ。[ 続く ]