「クンタオ(13)」(2023年12月06日)

ある日、知り合いになったアンバラワの住人がジンティに、アンバラワに引っ越してはど
うかと勧めた。多分ジンティの塩魚商売がろくに発展しないのを見かねた結果だろう。ジ
ンティ自身も自分が商売に向いていないことは経験からよく判っていた。

アンバラワはクンダルよりはるかに大きい町で、華人コミュニティももっと大きい。商売
などしないでクンタオを教えるだけで十分生活して行くことができる。ジンティはその勧
めに従ってアンバラワに移り、ひそかに拳道武館を開いてクンタオを教えた。たくさんの
生徒が集まり、武館は賑わった。ひそかに行ったというのは、その時代にオランダ政庁が
それを禁止していたからだ。愚民統治行政方針はそんなところにも影を落としていた。

たくさんの華人がクンタオを学びたがったのは、かれらの多くが商売のために荷を担いで
田舎の村々を巡回する仕事をしていたからだ。田舎を回ればほとんどプリブミばかりが住
んでいて、治安は村々の自治機構が行っているだけだから、村と村をつなぐ道は危険がい
っぱいのアウトロー空間になっていた。用心棒を雇えない人間にとっては、自分の身は自
分で守るしかないのだ。


ジンティはアンバラワで、拳道武館の師匠として、また同時に優れた中国医として、知る
人ぞ知る人物になった。友人知人もたくさんできたが、特にその中でプチナンに医薬所を
開いているティン・キムシアと深い親交を結んだ。キムシアも医は仁術を実践する人物で
あり、貧しい患者から礼金を受け取らなかった。

その時代、医者はたいてい呼ばれて患者の家へ行くのが普通だったようだ。医者に往診し
てもらうと、患者は2フローリンの礼金を紅包に入れて支払うのがしきたりだった。貧し
い家でも最低1フローリンを支払った。ところがキムシアは2フローリンだけを受け取り、
1フローリンは受け取らなかった。

ジンティとキムシアはとても気が合ったようで、ジンティがキムシアの家をひんぱんに訪
れていろいろな話に興じているのをひとびとが見て、ふたりは義兄弟の契りを結んだので
はないかという噂が立ったこともあったが、このふたりの親友付き合いはそういう種類の
ものでなかった。ともあれ一時期、ジンティはキムシアの医薬所に入り浸った。

その医薬所からあまり離れていない場所に新客華人の食べ物ワルンがあり、そこは夕方に
なるとコーヒーを飲んだり、飯や菓子を食べる客で賑わった。客は店で飲食しながら長時
間雑談するのがいつものふるまいだった。


ある日の夕方6時ごろ、ひどく酔っぱらったプリブミ兵士がふたり、ワルンに入って来て
飯を注文した。店主は注文品をすぐに用意してふたりの前に置いた。酔っぱらった兵隊が
突然怒り出して暴れたら手が付けられなくなる。店主はびくびくしていた。ふたりは飯を
半分ほど食べてから、コーヒーをひとりにつき二杯持って来いと言った。店主はまた大急
ぎでコーヒーを用意し、言われた通りにした。コーヒーが来ると兵士のひとりが立ち上が
って菓子を取りに行き、菓子の載っている皿を手にするとそれを傾けて菓子を地べたに落
とした。店主は哀願した。「そんなことはやめてくだせえ。売り物が売れなくなったら女
房子供が明日は飯の食い上げになる。」しかし兵士はせせら笑って、今度はコーヒーの入
った椀を地べたに叩きつけた。

店の中にいた客たちは、おかしな雲行きになってきたので店の外へ出ようとして動いた。
しかし野次馬根性に駆られて店の外から事態の成り行きを高みの見物。そこへ通行人や近
隣のひとびとも野次馬になって集まったから人だかりができた。ところが兵士の乱暴を止
めようとする者がひとりもいない。

店主は涙声で「お代はいらねえから、どうぞお帰りください。」と懇願するが、兵士は居
丈高に「この店とおまえを粉みじんにしてやる。」と脅かす。[ 続く ]