「ヌサンタラのコーヒー(33)」(2023年12月06日)

ところがダンピッコーヒーはダンピッのみで作られているものではなかった。ダンピッの
名を銘打ったコーヒーはAmpelgading, Sumbermanjing Wetan, Tirtoyudo, Dampitの四地
域で生産されたものだったのである。地元民はその地名を並べて頭字語を作り、アムステ
ィルダムAmSTirDamで生産されるダンピッコーヒーの意味でDampit Amstirdamと呼びなら
わした。

アムスティルダムはジャワ島最高峰、標高3,676メートルのスメル山麓の西南高原部に散
在している。おもしろいことに、マラン県のコーヒー産地はスメル山のアムスティルダム、
ブロモ山のTumpang, Poncokusumo, Jabung、カウィ山のWonosari, Ngajum, Kromengan、
アルジュノ山のPujon, Ngantang, Kasembon, Karangploso, Lawangというように、各山に
抱かれて発展した特徴を持っている。マラン県のコーヒー産地を訪れたければ、それらの
山を目指せばよいということになりそうだ。

スメル山と言えば、わたしがジャカルタ〜バリ島間を何度も車で往復していたころ、マラ
ンの町からバニュワギまで高峰が連なっている東ジャワの南ルートを通ったことがある。
街道はダンピッを抜けて東方のルマジャンに向かう国道3号線で、この道にはスメル山南
麓の長い高原部を走る区間があり、道路から外れて谷に落ちると生還を期し得ない場所も
多々あって、決して交通量は多くないのだがたいして広くない山道をバスやトラックの対
向車とすれ違うことも頻繁に起こったために神経を消耗する体験をした。

今でも記憶によみがえってくるのは、ふと気が付いて左側の見晴らしの良い景観を眺めた
とき、谷の向こうに見上げるほど高いスメル山の姿が中空を覆っていた姿だ。自分が走っ
ている山稜の道路は結構な高度であるはずなのに、そこから見える視界のかなりの部分を
覆っていたスメル山腹の迫力は、筆舌に尽くしがたいものがあった。その感動は多分、ヒ
ンドゥの天上界を支えるメル山のイメージにつながるものだったような気がする。


アムスティルダムでは2万2千人の地元農民が耕作している17,849Haの農地がロブスタ種
の栽培、1,028Haがアラビカ種の栽培に使われており、年間18.5千トンのコーヒー豆
が生産されている。生産量の三分の一をマラン市にある輸出業者がアジアやヨーロッパに
輸出している。この輸出業者PT Asal Jayaは年間5万5千トンのコーヒーを輸出している。

かつて、アムスティルダムダンピッコーヒー生産者農民の中に不心得な者が出た。アサル
ジャヤ社に納めるダンピッコーヒー豆の中によその低級豆を混ぜたのだ。その結果注文が
減少し、海外でのダンピッコーヒーの名前も忘れられた言葉になった。アサルジャヤ社が
その名前を復活させる努力を行なった。そして2012年にピュアダンピッコーヒーの折
り紙をつけた商品の輸出が再開された。徐々に市場からの信頼が回復されて、ダンピッロ
ブスタの名前をまた耳にすることができるようになった。

同社はアムスティルダムダンピッ生産農民にドイツの4C(Common Code for the Coffee 
Community)証明書を取らせる動きを進めた。その証明書を得ることによって国際的な品質
保証と生産者農民の責任感向上という両得を手に入れることができる。2013年には5,
878戸の生産者が4C証明書を手に入れた。総面積4,212Haのコーヒー畑にさっそくピ
ュアダンピッコーヒーの折り紙が付いたのである。[ 続く ]