「クンタオ(15)」(2023年12月08日)

その後の数日間は穏やかな日々が続いた。兵士たちはジンティの強さに恐れ入ってあきら
めたのだろうか?いやいや、そんなことはない。兵士たちはジンティが油断するのを虎視
眈々と狙っていたのだ。

何日も経過したあとのある夜、パサルのそばに住んでいる友人に招かれたジンティがそこ
へ行こうとして外出した。街灯などない時代であり、パサルの周辺とはいえまだそれほど
人家がたくさん並んでいるわけでもなく、木がうっそうと茂っている空き地もちらほらと
ある。

ジンティがパサルの近くまで来たとき、どの家の表戸もしっかりと閉じられていて路上に
人間の姿はひとつもなかった。ジンティは普通の足取りで、招かれている家に向かって進
む。ジンティが通り過ぎた大木の後からひとつの影が滑り出てきて、速足でジンティの後
に音もなく迫った。そして手に持ったボトルを振り上げてジンティの後頭部に振り下ろし
たのである。その瞬間、振り向いたジンティはその影が振り下ろして来た手をつかんで強
く押し返した。影の手からボトルが吹っ飛び、影は仰向けに倒れた。

すると別の木の後から別の影が大きい刃物を手にしてジンティ目がけて斬りかかってきた。
ジンティが体をかわして刃物を持っている敵の手をつかみ、相手を動けなくしているとき、
またもうひとつの影が後ろから刃物を手にして攻撃してきた。
そのときジンティ少しも騒がず・・・


中国が清王朝の時代、この異民族征服王朝は漢民族に辮髪を強制した。面白いことに、長
い歳月の経過とともに、異民族文化だったはずの辮髪を漢民族は自分たちの伝統風習と思
うようになっていった。清朝末期の時代、異民族支配から脱して漢民族の主権を回復する
民族独立の思想が活発化し始めたころ、ジャワ島にやってきて現地在住華人、つまり漢民
族(19〜20世紀あるいはそれ以前に南洋に移住した満州人の話は聞いたことがない)
に新思想の息吹を鼓吹しようとして学生たちが思想宣伝にやってきた。

あるときそのひとりが在住華人を集めて演説し、われわれは異民族文化から訣別しなけれ
ばならないと言って辮髪を外した。つまりその学生は辮髪のかつらをしていたのだ。それ
を見た聴衆が、おまえこそが漢民族の伝統文化を汚している背徳漢だと言って怒り出した。
そういうエピソードをプラムディア・アナンタ・トゥルが小説の中に書いている。

辮髪はヌサンタラで新客華人のシンボルになっていた。ヌサンタラにいる華人の外見だけ
を見てその者が新客かどうかを見分けるのに、辮髪をしているかどうかが判断の大きい手
がかりになっていたようにわたしには思われる。


ジンティも辮髪をしていて、手がふさがっているかれに向けられた三人目の賊の攻撃に対
抗するため、かれは自分の辮髪を使った。頭を振り回したから、近寄って来た敵の顔を長
い辮髪が鞭打った。三人目の敵は武器を捨て、悲鳴をあげながら両手で顔を抑えてうずく
まったのである。鞭がその者の目に当たったのだ。

ジンティに取り押さえられている二人目の敵が力を抜いて刃物を下に落としたので、ジン
ティはその者を放した。目を傷めた男を助けながら三人は逃げ去った。ジンティはまた大
声をあげて追いかけるそぶりを見せたので、三人はあたふたと逃げて行った。

ジンティを招いた友人は家の近くでドタバタと格闘する音が聞こえるから、外に出て様子
を見ていた。ジンティがやってきたので、その友人は何が起こったのかをジンティに尋ね
たが、ジンティはただ笑って、兵士が恨みを晴らしにやってきただけだと語った。そのと
きを最期にして、アンバラワでジンティと兵士のいざこざは二度と起こらなかった。
[ 続く ]