「ヌサンタラのコーヒー(40)」(2023年12月15日)

あるとき開催されたインドネシア協会の総会には、ハーグ、レイデン、ロッテルダム、ヴ
ァヘニンヘンWageningenなどで学業中の会員が集まった。この会合では式進行から諸作法、
言葉、姿勢や振舞いなどすべてのものごとをできるかぎり伝統的なインドネシア様式にす
ることをかれらは事前に申し合せた。たとえオランダの土地にいても、この会合の中だけ
はインドネシアにすることをかれらは望んだのだ。ただし服装だけは例外にされた。

言葉はジャワ語もしくはムラユ語を使い、オランダ語は使わない。食べ物飲み物はインド
ネシア料理だけ用意し、食べ方もスプーンを使わないで手で食べる。料理は全員がゴトン
ロヨン方式で作り、後片付けもゴトンロヨンで行った。

用意された飲み物の中でコーヒーはコピトゥブルッが選ばれた。コピトゥブルッが民族性
をシンボライズするものであるとかれらが判断したからだ。砂糖はグラジャワ。しかしミ
ルクは排除された。ミルクコーヒーはインドネシア民族を象徴しないのだ。煙草はトウモ
ロコシの皮で巻いたクロボッ、紙巻きたばこはダメ。レイデンの街の一角で催されたイン
ドネシア青年たちのこのスラマタンは翌朝まで続けられた。


ナショナリズムのシンボルを使う手法は効果的だった。支配者であるオランダ人のものに
従うのでなく、被支配者が昔から持っていた伝統に従うことで支配されているという意識
が薄らぎ、自立の精神が湧きおこった。民族自立の議論の傍らにコピトゥブルッが高い香
りを放ち、民族独立に向かう意欲を増進させた。ヌサンタラの伝統的飲食物が西洋文明の
虜にされたプリブミの精神を卑屈な奴隷の意識から解放したのだ。

正直に言うなら、その効果の半分は嗜好の問題だと言われても仕方ないかもしれない。西
洋料理で育てられなかったかれらの舌と口は、慣れ親しんだ味覚のほうにより高い満足度
を覚えて当然だったのだから。西洋人トアンたちがレイスタフェルを好んだとはいえ、ヌ
サンタラの家庭料理がそのまま供されたわけでは決してない。トアンたちの舌と口に合わ
せてモディファィされたヌサンタラ料理がレイスタフェルの食卓に並べられたのである。
トアンたちが賞味したのはそのエキゾチックさであり、その料理に浸み込んだローカルな
味覚ではなかった。


同一の味覚嗜好にならなかったことが植民地主義と民族主義、支配者と被支配者の対立を
明確なものにした。国民社会の行政統治支配者と被統治大衆が同一の味覚嗜好になってし
まった現在、インドネシア人にはあのころのような闘争がもう行えなくなってしまったよ
うだ。きっとだれが敵でだれが味方なのかよく分らなくなってしまったのだろう。

自分たちが食べている食べ物を一緒になって食べようとしないヨソモノは仲間にできない。
この原理は太古の昔から人間の本能の中に刻み込まれて人間の習性の一部と化したように
見える。原始的社会に紛れ込んだ文明人は、原始社会のひとびとが食べる異様な食べ物を
生理的に拒否してしまう。自分たちの食べ物を食べないヨソモノは自分たちに悪意を抱い
ていると原住民は考え、そいつの悪意が実行に移される前に予防措置を執ろうとする。紛
れ込んでしまった文明人の生命はもはや風前の灯だ。

同じ食べ物を分け合って食べれば兄弟になれるという信仰じみた観念は世界のあらゆる民
族の言語表現の中に出て来るのではあるまいか。食という個人的な行為が集団における共
同行為にされ、そこでの行動が連帯や一体感といった人間関係の内容を把握する物差しに
されるというメカニズムはいったい何を根拠にしてできあがったものなのだろうか?

今では、食の多様化が同一の食べ物というクリテリアをほとんど消滅させたものの、たと
え飲食物が異なっていても同一の場で「飲み食いする」という同じ行為を一緒に行うこと
が善であるという原理はいまだにわれわれの本能の中に埋め込まれているようにわたしに
は感じられる。

わたしがかつて体験した、「オレの勧める酒がオメエ飲めねえと言うのか?!」という酔
漢の恫喝もその一現象だろう。

大勢が集まって飲食する宴の中で、個になって飲食せずにじっと座っていられる人間がど
れほどいるか。そしてみんなが行っている宴の集団行為に加わらない「個」になった人間
を許容して放置できる宴がどれほどあるのか、その答えは容易に想像できるように思われ
る。個になって共同行為に参加しない者に対して、その存在自体から宴の参加者たちは悪
意を感じ取るのではあるまいか。個人主義を標榜する西洋社会にもこの本能は生き続けて
いるのではないかという思いをわたしは抱いている。[ 続く ]