「ヌサンタラのコーヒー(41)」(2023年12月18日)

共和国独立前のオランダに作られたインドネシア協会のイ_ア人青年たちは、民族主義の
実践にナショナリズムのシンボルを必要とした。飲食物という人間の基礎需要品はそこに
大きい効果をもたらした。異民族支配者とプリブミ被支配者の間に溝を作って明瞭な線引
きを可能にするとともに、被支配者の連帯と一体感の育成をも推進したのである。加えて、
飲食物が醸成する「連帯と一体感育成」の心理効果をオランダの政治警察は見落としてし
まった。プリブミ留学生が食べている食事や飲み物にそんな効果があるなどということを
かれらは夢想だにしなかった。

オランダ政府は東インド出身留学生の監視を厳しく行った。民族主義運動の弾圧は東イン
ドで厳しく行われたものの、オランダ本国では東インドほどの厳しい弾圧がなされなかっ
た。それでも、官憲による監視活動は抜け目なく行われた。

東インドでは植民地政庁が、民族運動が反オランダ独立闘争に向かう強い懸念を抱いて監
視と弾圧を厳しく行った一方、オランダ本国では1917年ロシアのボルシェビキ革命が
東インド留学生に共産主義運動の扇動を行うことの不安の方が強く、おのずと東インド政
庁とは異なるスタンスで留学生に相対することになった。

インドネシア風スラマタンの形を取ったレイデンのインドネシア協会総会も政治警察によ
るスパイ活動の標的にされたにもかかわらず、警察側はどうやら完全に目をくらまされて
しまったようだ。民族主義青年たちはそんなナショナリズム飲食物を選び出してそれらに
政治的な性格を与えたのである。コピトゥブルッがそのひとつに選択されたのは、それが
十分な理由を備えていたからだ。

インドネシア共和国建国の父スカルノ初代大統領も濃くて真っ黒なコピトゥブルッを愛好
したそうで、それがナショナリズムをシンボライズしていたことは疑いあるまい。しかし
そんな時代が遠い過去のものになってしまった今、かつてインドネシア民族を象徴したコ
ピトゥブルッはどのような運命に向かって歩んでいるのだろうか?


世界制覇を果たした西洋文明が、まったく伝統的に異なる文明文化を持っていた諸民族に
国際化という言葉で生活様式の西洋化を促進させた。広範な地域を制覇した文明が域内の
政治と文化の基準と化す現象が世界の歴史の中で飽きるほど繰り返されてきたことをわれ
われの誰もが知っている。地球規模の地域が制覇されたとき、それを成し遂げた西洋人の
文明が地球上の最高の文明になる扉が開かれたのである。

自ら築いてきた伝統的な文明文化を自分の意志で二次的な位置に置き、150年ほど前に
西洋化を目指して突き進んだ民族もあれば、あたかも周囲から西洋文明の潮が満ちてきた
サンゴ礁のように何世代もかけて自己の伝統文化に対する価値観がじわじわと変容したと
ころもあったようだ。

ともかくヘゲモニー優位の価値観が「濾過された液体」様式のコーヒー飲料を正しく、美
味しく、美しいコーヒーという位置に置いたことで、コピトゥブルッは文明的ライフスタ
イルから追い払われる運命をたどりつつあるように見える。


ほんの数十年前までコピトゥブルッを供していたクダイコピですら、今では濾過方式のコ
ーヒーを供するところが増えてきた。普通一般の食事ワルンでコーヒーを頼むとコピトゥ
ブルッが出されるケースが多いのに反して、コーヒーワルンとして人気のある店へ行くと
濾過されたものが多いという現象になっているようだ。

コーヒーの淹れ方・飲み方の面から言うなら、コピトゥブルッは濾過方式に比べて滓が口
に入るというデメリットを抱えている。その劣った要素のためにコピトゥブルッは消え行
く宿命にあると語るひとも中にはいる。しかしコピトゥブルッの仲間としてのトルココー
ヒーやギリシャコーヒーはいまだにしっかりと生き延びているのではなかったろうか。
[ 続く ]