「ヌサンタラのコーヒー(50)」(2024年01月05日)

アチェでは昔から大麻が料理に使われてきた。大麻が家庭の生垣に植えられ、必要に応じ
て台所からそれを取りに行く風景がかつては普通のものだった。料理に使われるのは種で
あり、葉ではない。大麻の種は肉を柔らかくし、味を美味しくし、食品保存の効果すら持
っている。作られた料理が腐りにくくなるのだ。だからパサルでもスパイスの一種として
扱われてきた。たいていのアチェ人は、大麻の葉を煙草にして吸うことを自分はしないと
語っている。

大麻の種が料理用スパイスであるという観念に影響されたのだろう。種の粉末が昔からコ
ーヒーに混ぜられてきた。ところがインドネシア政府が大麻を禁制薬物に指定したため、
大麻の種はパサルからも家庭からも姿を消した。だがそれは闇の中に隠されただけで、い
まだにみんなが使っているという話はよく耳にする。


ワルンコピソロンの店主ハジナワウィは大麻など使わないと言う。「よそがどうしている
のかわたしはまったく知りませんが、うちの店ではそんなことをしていません。」

郷土文化研究者のひとりは、大麻入りコーヒーを信じているひとがたくさんいる、と語る。
「その話はよく聞きますよ。ただ、わたし自身はこの目でまだ一度もそれを見たことがな
い。わたしが見たのは、グライカンビンに大麻の種の粉末を入れているところだけだけで
す。ある祝宴でそれを目撃しました。」

ロッスマウェのマリクッサレ大学人類学教授は、コーヒーのアロマを美味しくして客に習
慣性を付けるために大麻を使っているワルンが今でも絶対にあると述べている。「ビルエ
ンへ行ったとき、わたしは何軒かクダイコピを訪れましたが、そのうちの一軒でコーヒー
を飲んだ時、わたしの頭は突然衝撃を感じ、それから眠気に襲われました。」

バンダアチェで流行っているワルンコピの店主のひとりは、大麻入りコーヒーを作って客
に供していたことを認めている。かれによれば、大麻入りコーヒーの作り方は豆を焙煎す
るときに大麻の花を混ぜるのだそうだ。質の良い大麻の花はプロ産のものだとかれは語っ
た。「でもそれはもうやめました。州警察が大麻撲滅の大キャンペーンを張ったとき、も
う続けられないことを悟りましたよ。だから今はまったく使っていません。」

飲食物に大麻を使うことはアチェ人が昔から行ってきた慣習であり、どの家庭にもどの飲
食店にもスパイスのひとつとして大麻が置かれていたのだから、インドネシア政府が大麻
を非合法物品に指定するまで、アチェ人にとって大麻入りコーヒーは何ら問題のある飲料
ではなかったのだ。

バンダアチェはナングロアチェダルサラム特別州の西部北端にあってインド洋に面してい
る。アチェ州のクダイコピ文化は最初西部で花開いた。マラカ海峡に面した東部にワルン
コピ文化が浸透したのはもっと後になってからだ。

アチェに入って来たコーヒー文化が何者によってもたらされたのか、その実態はいまだ定
説がない。インド洋はインド・パキスタン〜ペルシャ〜アラブそしてトルコにつながって
いる。マラカ海峡側はクダイコピ〜コピティアム文化圏に地理的に近い。


アチェの歴史にはその初期に、ポルトガル人が行ったマラカからヌサンタラ一帯にかけて
のエリアにおける侵略と征服に対抗するため、オットマントルコに同盟と軍事支援を求め
た事実がある。アチェスルタン国は強大なオットマン帝国の支援と保護を求めて自らを保
護国の地位に置き、オットマン帝国からの軍事支援を引き出すのに成功した。

その時代の最新型武器兵器の供与と使用法、それを使った戦術と軍隊操典。アチェの軍隊
にそれを学ばせるためにオットマン帝国は自国軍隊の一部をアチェに派遣した。そのとき、
アチェ人の血筋に中東人の血統がどっと混じりこんだ。アチェ人女性には美人が多いとい
う定評がある。

後のアチェの南進政策によってスマトラ島の北半分がアチェの属領になったのは、オット
マン帝国軍仕込みの軍隊の強さによっていたのかもしれない。[ 続く ]