「クンタオ(31)」(2024年01月08日)

Lo Ban Teng盧萬定は福建省章州龍海石碼鎮で1886年に酒屋の息子として生まれた。
娘がふたり生まれたあとにやっと授かった男児だった。

両親は福建省の他の町の人間で、龍海石碼鎮に移り住んで商売を始めたのだが、その当時
はよそ者排斥の気分が強い時代であり、よそ者の店は近隣一帯の目の敵にされてさまざま
な嫌がらせを受けた。父親は腰の低い穏やかな人間だったが、それでも嫌がらせは絶える
ことがなく、あるときは暴漢が店の中に殴りこんできて酒の甕を割りまくるようなことま
でされた。それでも父親はため息をつくだけでされるがままになっていた。そんな父親の
分まで息子のバンテンが腹を立てた。

息子のバンテンにも嫌がらせの矛先が向けられた。近隣の悪童たちがちょっかいを出して
バンテンを怒らせ、かかってきたところを大勢で叩きのめすのだ。バンテンに味方する仲
間はひとりもおらず、かれはいつも集団を相手にたったひとりで喧嘩した。

バンテンは身体が大きくて運動神経が発達していたそうで、しかもあまり親の言う事を聞
かず、怒りっぽい性格をしていた。小さいころからよく悪さをし、親を呆れさせていたと
いう話もある。それでも一人対集団の喧嘩では勝てるはずがなく、喧嘩をしては最終的に
自宅に逃げ帰っていた。集団のリンチを受けたあとは、敵がひとりでいる時に喧嘩を吹っ
かけて復讐戦を行った。一対一の喧嘩であれば、相手が年上の子供でも喧嘩に負けたこと
がなかった。

14歳になったバンテンは喧嘩の能力を高めるためにクンタオを学ぼうと考えて、その技
術に関心を持ち始め、その町のクンタオの師に付いて二年間学んだ。それだけやればもう
大丈夫だと思って道場を去ったものの、いざ一人対集団の喧嘩を再開したらボコボコにや
っつけられた。


まだ修行が足りなかったと確信したバンテンは、もっと優れた師を探した。しかし父親は
そんな息子の行く末に不安を抱いた。たとえ喧嘩に強い人間になれたとしても、喧嘩が強
いだけの人間の一生が意味あるものになるわけがあるまい。まともな生涯を送れるとは思
えないのだ。だがこの町に暮らしているかぎり息子はそんな方向に突き進んで行くだろう。
父親はジャワ島のスマランに移住した妻の兄弟のひとりに息子を預けることにした。17
歳のバンテンはジャワ島に向かって旅立った。

ところがいざスマランに来てみると、叔父の一家はバンテンを役立たずの余計者のように
扱った。傷心のバンテンはそこで7ヵ月間暮らしただけで、また故郷に帰ってきた。そし
て実家の酒屋商売を手伝うようになる。しかしクンタオへの熱望は絶えたことがなく、店
にやって来る客とクンタオの技の話ばかりするようになった。

19歳になったとき、両親は故郷の町から嫁をもらってバンテンに娶せた。バンテンの妻
になったリー・ホンランは娘を産んだ。娘はロー・リーホアと名付けられた。リーホアは
成長してからクンタオの達人になり、拳の打撃力の強さは自分の弟子たちの中でピカ一だ
と父親を感心させた。

23歳のときに両親が相次いで亡くなったため、バンテンは家業を継いで酒屋の主人にな
った。バンテンに男児が生まれないために、かれは養子を取ってロー・シアウエンと名付
け、血統を絶やさないための備えをした。だがクンタオを学ぶ意欲は少しも衰えない。


ある日、来店客の相手をしてクンタオの話題を語り合っている中で、客が語った言葉にバ
ンテンは興味を引かれた。クンタオに強くなるためには高跳びの技を身に着けなきゃいけ
ない。クンタオの達人は地面から屋根の上まで跳び上がることができる。
「へえ、それはどんな練習をするんですか?」
「石で作った木屐を履いて跳び上がる練習をする。最初は軽い木屐を使い、段々と重いも
のに変えて行く。その技を修得すれば、地面から屋根まで跳び上がるのにもう石の木屐は
使わなくてよい。」
[ 続く ]