「クンタオ(32)」(2024年01月09日)

さっそくバンテンはその練習をするために石の木屐を注文することにし、家の近くに住ん
でいる墓碑職人を訪れた。5キロくらいの重さの石の木屐を作ってくれという注文に老齢
の職人は驚いた。初老でやせた体躯のその職人はバンテンを頭の先から足の先まで眺め渡
し、何のためにそんな物を注文するのかと尋ねた。

余計な詮索をしやがると思ったバンテンはご機嫌斜めになり、「高跳びの技を練習するた
めだ。」と吐き捨てるように言った。すると墓碑職人はゲラゲラと笑い出したのである。
「なんという愚かなことを・・・。あの連中を見てごらん。かれらが重荷を下に置いたら、
天まで飛んでいけると思っているのか?ハハハハ。」墓碑職人は表を通りかかった数人の
肥え桶担ぎを指差してそう言う。

怒りが頭に上ったバンテンはその年寄りに勝負を挑んだが墓碑職人は相手にせず、「付い
て来い。」と言って家の奥に入った。家の中には人のいる様子がまったく見当たらず、そ
の年寄りが孤独な一人暮らしをしていることをバンテンは知った。

年寄りは寝台の下から大きい錠前の形をした石の造形物を取り出してバンテンに渡した。
「ははあ、こいつはオレの力試しをしたいんだな。」

バンテンはにんまり笑うと、その25キロくらい重さのある石を片手で上げたり下げたり
振り回したりして見せた。褒め言葉が返って来ると思ったのに反して、年寄りは見下した
調子を続ける。「なんだ、そりゃあ。そんな練習をいくらしたところで、死んだ力の使い
方でしかないぞ。」

バンテンが何かを言うより先に、年寄りはその石をバンテンの手から取って片手で上に放
り上げ、回転しながら下りて来る石を別の片手で受けた。指は石の形に添ってしっかりと
それを握りしめ、腕の震えもまったく見られない。バンテンは目を見張った。

このやせた身体の年寄りがたいへんな力と技を持っていることを目の当たりにしたバンテ
ンは、自分の目の前にいるのがクンタオの達人であることを即座に理解した。かれは身を
低くして自分を弟子にしてくれと頼んだが、年寄りはけんもほろろに断った。


バンテンの心にその墓碑職人のことがわだかまった。このクンタオの達人はいったい誰な
んだろうか?店の客や知り合いに尋ね回った結果、その年寄りの正体が判明した。Siauw 
Lim Ho Yang Pai少林河陽派のひとつで泉州に興ったNgo cho Kun五祖拳の開祖であるTjoa 
Giok Beng蔡玉明宗師の直弟子で、五高弟のひとりYoe Tjoen Gan尤俊岸がその人物だった
のである。

それを知ったバンテンの心は決まった。ユー・チュンガン師匠の他に自分がクンタオを学
べる人物はいない。バンテンは折に触れて墓碑職人の家を訪れて弟子入りを願い出たが、
頑固な年寄りはいつも首を横に振った。

そうしているうちに一年が過ぎ、ユーの商売が行き詰まってしまった。収入がなくなって
家賃すら払えなくなったため、家主がユーに家の明け渡しを宣告した。バンテンにとって
はそれが好機になった。自分の家に引っ越すようバンテンはユーを説得した。自分に惚れ
込んだ若者に苦笑しながら、ユーはついに折れてバンテンの家に引っ越した。この恩返し
のために、クンタオをお前に教えようと言って。


ユー師匠を家に引き取ったバンテンは家の中の一番良い部屋を師匠に与え、専従の下男を
付けてあらゆる雑用をさせた。そして自分もその時代の親孝行息子が父親に示すお手本を
実践して師匠に礼を尽くした。

ところがこの家の主人がクンタオの話を聞き指導を受けるために師匠の部屋に入り浸るよ
うになったために、店の商売がほったらかしになり妻子への関心も消え失せたように見え
た。その結果、店の商売の采配が番頭任せになってもたいして波風は立たなかったが、夫
の心が失われた妻子のほうはそうもいかなかった。[ 続く ]