「ヌサンタラのコーヒー(58)」(2024年01月17日)

ラパウにやってくるのは男性がマジョリティを占めたが、女性が来てもおかしな目でそれ
を見る人間はいなかったそうだ。ブンダカンドゥアンの重みのなせる業だったのかもしれ
ない。少なくとも、女が行くべき場所ではないという観念を女性たち自身が持たなかった
のだろう。

他地方でクダイコピやワルンコピが男性専用の雰囲気を築き、女性にとって相応しくない
場所という色合いが強まったのに比べてミナンのラパウは趣が違っていた。母系制社会で
あるミナンカバウは家、つまり家系、が女性によって相続され、家の主の地位を女性が占
め、日常生活でも家は女たちが集い運営する場所になり、結果的にそれは男を家に結び付
けない生活様式に向かわせることになった。文字通り、家の外にある、世間と呼ばれる社
会が男の棲家になり、家は女が守るものになったのである。

それでも、男にも寝泊まりし、集まって組織作りをする場所が必要になる。未婚の男たち
は自分が生まれた家でなく、その外で世間の中に作られ運営されている場所を拠点にする
ようになったにちがいあるまい。少年たちは礼拝所スラウで寝泊まりし、大の男たちはラ
パウに集まって集団組織の運営を進める形態にたどり着いたことが推測される。

ラパウではチャワンcawanと呼ばれる小さいカップで、たいていアレンヤシ砂糖・シナモ
ン・カルダモンなどの混ぜられたコーヒーが供される。一般にどこのラパウでも食べ物が
必ず用意されている。ナシパダンやピサンゴレン、モチ米にヤシの果肉を混ぜたクタンク
ラパ、その他の乾菓子類を供さないラパウというのは、クダイコピやワルンコピと同様に、
非常識な店という烙印が捺されたにちがいあるまい。


そんなラパウで使われるコーヒー豆は地元各地で毎年大量に生産されている品物だ。地元
生産者の中に自分のブランドを付けて周辺域内に販売している者が必ずおり、その地方の
雑貨ワルンやパサルへ行けば地元ブランドのコーヒーが包装されて売られている。

われわれは多分、全国規模の販売網を持つ大資本のブランドが一級品であり、狭いローカ
ル地域内でのみ販売されているものは二級品と見なす観念を持たされてしまっているかも
しれない。ましてや、価格をそんな観念に結び付けて世の中を眺めることも避けるべき愚
行かもしれない、という考えにわたしは到達した。

もちろん地方によってはそんな観念が当てはまっているところもないわけではないものの、
ジャカルタでさえクレンデルのパサルで買ったどこの産地とも知れない廉価なコーヒー豆
が素晴らしいアロマと味覚を供するものであったことを実体験したわたしには、その種の
観念主義は遠ざけられてしかるべきだという気がするのである。


ミナンカバウにも地元で収穫された豆で粉末コーヒーを生産しているメーカーがあちこち
にいる。その品質は逐一飲み比べてみなければ何とも言えないだろう。見すぼらしい雑貨
ワルンや寂れたパサルで売られているから低級品だという判断は、コーヒー豆については
決して妥当とは思えないのだ。

西スマトラ州サワルント県シルンカンSilungkangに50年の歴史を持つ粉末コーヒー生産
者がいる。ヤカンの絵をアイコンに描いたKopi Cap Tekoの、まるで骨董品のような印象
をもたらしてくれるラベルの付けられた粉末コーヒーは、水車を動力源にしているミナン
でも珍しい生産者だ。創業者のLukman Kincirという名はその水車のアイデアを愛称にし
たのだろうか?

バタンラシの水流が直径およそ3メートルの水車を回転させ、その力が焙煎容器の中をか
き混ぜ、更に煎られた豆を粉に挽く。焙煎には薪の炉が使われている。豆は製造作業所の
周辺に住んでいるコーヒー生産農家から購入する。一日の粉末コーヒー生産量は4百キロ
グラムだそうだ。テコ印の50グラム入り包装された粉末コーヒーは西スマトラ州ばかり
か、近隣の諸州にも出荷されている。[ 続く ]