「退化の罠と進歩の流産(2)」(2024年01月18日)

キャンペーンを行なえば交通費・宣伝費・宣材物製作・集会の飲食物などの費用がかかっ
て当然だ。しかしキャンペーン費用に有権者説得資金や票買収資金が含まれる必要はない。
そのような取引ポリテイクスがヴェリーハイコストになったあとで、あたかも国民が地方
首長を直接選ぶにはまだ成熟していないので地方議会にその機能を委ねるべきだと言って
国民がまたまた悪者にされたのはとても残念なことだ。

今のインドネシアの議会があらゆるレベルにおいて、決して香りかぐわしい国家機関では
ないことを誰もが知っている。国家開発企画庁が行っているインドネシアデモクラシーイ
ンデックスに関連した2013年のあるサーベイで、地方行政府・裁判所・政党などの諸
国家機関との比較において地方議会は業績が最悪であるという指数が示された。指数80
〜100が業績優秀、60〜79が普通、その下は業績劣悪という三段階に区切られたそ
のインディケータの中で地方議会が得た指数は36.62に過ぎなかった。

地方首長選挙がこの業績最悪の国家機関によってなされたならどのような結果が出現する
か、容易に想像がつくだろう。地方議会による地方首長の選出のほうがより低コストでよ
り良い結果をもたらすという論は最初からお話にならないものとして拒否され得るのであ
る。加えて、地方議会による首長選出は地方首長の政治的立場の独立性を危ういものにし、
地方行政における三権分立の均等性を失わせることになるだろう。

インドネシアで直接選挙が行われたとき、それはいくつかの国々にも選挙制度に関するヒ
ントを与えた。マレーシア・ミャンマ・エジプトは直接選挙への移行の検討を開始したし、
雨傘革命で揺れ動く香港では一般市民が、北京政府が望む代表者による行政長官選出を拒
否して直接選挙を求めた。警察の反デモ部隊が固めている香港の金融センター街に直接選
挙を要求する数万人のデモ隊が押し寄せているちょうどその時に、われわれの国会は地方
首長選挙を昔の地方議会による間接的選出の形態に戻したのである。何という心痛む暗合
だろうか。

< 進歩の流産 >
間接的地方首長選挙の復活は流産させられる進歩の一例である。それに関わっている者た
ち、特に決定権を持つ者たち、の主観によって、進歩が産まれ出る前に消失させられるの
だ。そこでは内向きのらせん状プロセスが起こって複雑さが上昇するばかりになり、前進
が足踏み状態になるために、この傾向はより進歩したレベルへの発展を流産させてしまう
のである。

発展が退化の中に閉じ込められるために、進化が起こらないのだ。その部分的な原因を作
るのは、進歩を望んではいても進歩がもたらす結果とリスクを背負うことを恐れる主観性
である。法の確立や汚職反対運動を支持したい欲求はあるものの、汚職撲滅コミッション
を閉鎖させる希望のためにその欲求は消失してしまう。クリアーでクリーンな大臣ばかり
で構成されている内閣を望む気持ちはあっても、ジョコウィ大統領が汚職撲滅コミッショ
ンに大臣候補者へのコメントを求める行為を問題視するのである。

国民教育の進歩を熱望していても、プラグマチックな利益に目を奪われてその計画は毎回
支離滅裂なものになっている。1945年から2014年までの間にカリキュラムの変更
は10回も行われた。それぞれのカリキュラムは平均して7年未満しか続けられなかった
ことになる。あるいは、国民主権の確立への意欲もある。ところが国民が自ら主権を行使
して首長を選ぶ機会は閉ざされて、地方議会に取って代わられた。

他にもある。デモクラッ党指導部会議長としてかれは国会デモクラッ会派に対し、直接選
挙オプションを全面支持するよう命じることができた。しかし現実に起こったのは国会総
会での票決の際に投票をボイコットする行為だった。同会派議員は一斉に議場から退出し、
紅白連合が提議する地方議会による首長選出オプションを勝たせたのである。デモクラッ
会派のその行動が指導部会議長の知らないところでなされたとか、あるいはその意向に反
して行われたといった論説を信じろと言うのは、公共知性に対する冒とくだろう。[ 続く ]