「ヌサンタラのコーヒー(60)」(2024年01月19日)

ジャンビ州スガイプヌ市ポンドッティンギ郡スガイジュルニ村のよく整備されたアスファ
ルト舗装道路が薄まる霧の下に姿を見せ始めた9月のある早朝。標高3,800メートルのク
リンチ山を頂点に戴く山系の一部を成しているトゥルバカル丘の麓では山の霊気が一年中、
朝目覚めた人間の心身を震わせる。スガイプヌ市はもっとも高い地点が海抜1千2百メー
トルに達しているのだ。

道路はまだほとんど人通りがないというのに、川沿いの一軒の建物では夜明け前からもう
仕事が始まっている。そこから香ばしいコーヒーの匂いが周辺の清涼な空気の中に立ち昇
る。松林の広がる山腹の見せる大自然の魅力的な眺望とコーヒーの香りが一体となってわ
れわれの心身をリフレッシュさせてくれる。

その建物がイルワン・エフェンディさんのコーヒー製造所だ。毎日たくさんの袋入り粉末
コーヒーパックがそこから出荷されている。そこで作られているNURブランドの製品は州
内ばかりか、西スマトラ、リアウ、ブンクルなどの近隣諸州はもとよりマレーシアにまで
届けられている。


このコーヒー製造所はイルワンの父親が1960年代終わりごろに作り、長男のイルワン
が1985年からこの製造所内の指揮を執るようになった。製造方法は父親がセットして
行っていたまま受け継がれ、すべての機材と製法がスタートした時そのままに現在も稼働
し続けている。

時代の変化がもたらした環境の劣化が電動破砕機の導入を強いただけで、他の工程をイル
ワンは機械化も合理化もしない。自分が育ったのはこれのおかげだから、これを維持し続
けていくのが自分の義務だとかれは感じている。

昔はたいていの粉末コーヒー生産者がそうしていたように、イルワンの工場も水車を動力
源に使っている。建物の前を流れるジュルニ川で水車を回転させ、その軸が工場内の杵を
上下させて豆を粉に砕くのである。スリアンの木で作られた8個の杵が打つ音は一定のリ
ズムで力強く響き、そこが作業場であることを雄弁に物語っている。水車が生み出す動力
エネルギーはモダンな電動機械類と遜色ないパワーを持っていると言えよう。

イルワンは一日の生産量5百キロのうちの半分をスリアンの杵で作り、残る半分はジェネ
レータで動かす電動破砕機を使っている。それらを均一に混ぜてから包装するのは製品の
品質を一定にするためだ。昔は生産量も少なく、水車が動かすスリアンの杵で全量が作ら
れていた。ところがジュルニ川の水量が不安定になってきた。特に乾季になると水量が不
足して水車が力を失うことも頻繁に起こったために、イルワンは仕方なく電動破砕機を購
入した。その結果、生産量を増やすこともそれで可能になった。

とはいえ、イルワンは生産量を増やすことを追求しない。工場の中に機械を増やせば生産
量は容易に向上させられる。だがそれで父親が始めたコーヒーの品質が維持できるのか?
いま得られている需要はこの品質が生み出しているもののはずだ。既に伝統と化した昔な
がらの製法が作り出している品質を維持することがきっと、イルワンにとってのこの事業
の目的であるにちがいない。

イルワンはコーヒーの実をクリンチのラヤ山麓やサンカル島地区のコーヒー生産農家から
購入している。実から豆を取り出して、回転式オーブンを使って焙煎する。炉にはシナモ
ンの廃木とキャッサバの滓をくべる。必ずシナモンを使うのは、コーヒーにアロマが加わ
るからだ。シナモンの木で焙煎すると香りが強まり、しかも煙がモクモクと出てきたりし
ない。昔みんなが使っていたこの方法をいまだに続けているのはきっとここだけだろう、
とイルワンは言う。[ 続く ]