「ヌサンタラのコーヒー(61)」(2024年01月22日)

炉にかけられた回転式オーブンは人力で動かす。一定の熱で焙煎しなければならないコー
ヒー豆にとって、薪の炉はやっかいなものだ。出してくれる温度が転変極まりないのだか
ら。だから炉の火力調節係がいて、温度が上がりすぎれば水をかけて温度を下げる。

焙煎が終わると回転式オーブンを炉から外し、床に敷いた草編の敷物の上に中身をふり撒
く。それらの一切が人力で行われている。豆の温度が冷めたら、スリアンの杵に打たせる
ために破砕工程に移される。この工場では13人の作業者が働いており、イルワン自身も
かれらに混じってコーヒーの実から豆を取り出す作業を行っている。

スガイプヌ市場にヌル印コーヒーの販売所があり、粉末コーヒーはそこでさまざまなサイ
ズの包装で売られている。そこの店番をしている女性はなんと、イルワンの母親だった。
名前をヌルチャヤと言う。イルワンの父は自分の製品ブランド名に妻の名前を使ったので
ある。

イルワンの工場からは様々なサイズにパックされた粉末コーヒーが出荷されている。油紙
にモノトーン印刷された古式蒼然たるパッケージもあれば、色彩豊かなプラスチックパッ
ケージもある。世間ではヌル印コーヒーをKopi Nur Kerinciと呼んでいるようだ。


クリンチ山麓でのコーヒー栽培はカユアロで始まったとされている。カユアロは元々19
20年代終わりごろにオランダ人が茶農園を開発したのが発端だったので、そうであれば
コーヒー栽培は茶の後追いで始まったのかもしれない。しかもカユアロにオランダ人の広
大なコーヒー農園は作られなかったから、kopi Kerinciはプリブミ農民の小規模民衆農園
や畑が基本になっているようだ。カユアロの歴史については拙作「女王陛下のカユアロ茶」
「カユアロはジャワ文化の飛地」などをご参照いただけます。
「インドネシアのお茶」
http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-32IndonesianTea.pdf
の16ページ以降をご覧ください。


ジャンビ州のコーヒー産地としては、クリンチ山よりもそこから110キロ南方にある標
高2,935メートルのMasurai山のほうが有名だ。マスライ山麓に位置するMerangin県が州内
最大のコーヒー生産量を誇っている。ムラギン県は年間に6.4トンを生み出す1万Haの
コーヒー栽培用地を擁しており、その中心を担っているのがジャンカッ郡だ。そのために、
それをkopi Robusta Meranginと呼ぶ人もあればkopi Jangkatと呼ぶ人もいる。

ジャンカッ郡は周囲を高山に囲まれた高原盆地という地勢になっていて、標高1,035メー
トルの高さにある。ジャンカッ郡でのコーヒー栽培の歴史は1980年に始まった。それ
までこの地方にコーヒー木がなかったわけではないものの、地元の農民たちはその栽培方
法を知らなかったために商業作物として育てることをしていなかったそうだ。

プラウトゥガ住民のバドゥルル・ハサン氏が1980年にコーヒー栽培を試みた。198
0年に一農家だけが始めたコーヒー栽培が翌年には50軒に増加した。5年後に140軒
になり、10年後には312軒がコーヒーの実を生産するようになった。そのとき、ハサ
ンが始めた1Haの栽培面積は10年後に329Haに広がっていた。

ハサンが生産したコーヒーの実はキロ8百〜1千ルピアで売れた。1990年にジャンカ
ッ産コーヒーの実はキロ5千ルピアになっている。ジャンカッのロブスタコーヒーは20
18年の国内スペシャルティコーヒー協会が開催したエキスポで国産ロブスタとして最優
秀の折り紙を付けられた。2020年にはSumatera-Meranginという地名ブランドが承認
されている。[ 続く ]