「ヌサンタラのコーヒー(62)」(2024年01月23日)

コーヒー農家であるスパルディさん63歳の自宅の客間には自家製粉末コーヒー、小さい
グラス、熱湯の入った魔法瓶が置かれており、自宅の裏で行われている製造作業を見に来
た客人にかれはまず座って製品を味わってみることを勧めている。「味の違いを吟味して
ください。泥炭土で育ったコーヒーですよ。世の中にふたつとないかもしれません。」

そう言われて客たちはすぐに粉末コーヒーをグラスに入れて湯を注ぐ。粉を沈殿させてか
ら啜った客のひとりがコメントした。「フム、ちょっと渋みがあって、泥炭のアロマが感
じられますなあ。」

今日の客たちは95キロも離れたジャンビの町からやってきたひとびとだ。2015年1
1月13日にジャンビ州西タンジュンジャブン県ブタラ郡ムカルジャヤ村の一軒の農家で
そんなシーンが展開された。


昔、この地方のたいていのコーヒー生産農家の主人たちは、先祖代々生えているコーヒー
の木がどんな種類でどんな特徴を持っているのかをほとんど気にしていなかった。あると
き東ジャワのジュンブルにあるコーヒーカカオ研究センターから調査員が訪れ、ここのコ
ーヒー木はリベリカ種であることを確認した。アフリカ西部平原地帯にあるリベリアが原
産のコーヒー木だ。

オランダ東インドの時代にこの地方にはアラビカ種のコーヒーが植えられた。ところが1
9世紀後半にサビ病が蔓延したため、この地方では1875年にリベリカ種への転換が行
われた。最初はリベリカ種の生育も順調に進んだ。ところがしばらく年月が経過してから、
やはりサビ病に冒される木が増加しはじめた。サビ病にやられた地域でオランダ人はロブ
スタ種への転換を行なった。だからこの地方で今はロブスタ種がメインになっているもの
の、リベリカ種もたくさん生き残っている。

しかし地元には別の話も伝わっている。70年前にハジ サユティという名の地元民がマ
ラヤ半島からリベリカ種を持ち帰り、それが一部の農家に広まったと言うのである。いず
れにせよ、この泥炭土地方で栽培されているリベリカ種のコーヒーに地名ブランドを付け
ようという動きが2012年に起こり、生産農民の一部が結束してその運動を推進し、政
府人権法務省に出した申請が3年かかってやっと認められた。政府のお墨付きを得た名称
はLiberika Tungkal Komposit。トゥンカルとはタンジュンジャブン県の県庁所在地の名
前だ。関係者はその公式名称を短縮してLibtukomと呼んでいる。運動を推進したグループ
はリブトゥコム地名ブランド保護ソサエティを作ってアフターケアを行なっている。

リブトゥコムは高値で売れる。タンジュンジャブン県のコーヒー生産は増加し、今では栽
培面積3千ヘクタールが県内8郡に広がっている。泥炭土でのコーヒー栽培はしばしば発
生する大規模煙害の抑制にも効果を持っていて、県行政もコーヒー栽培を奨励している。
泥炭土で育つ植物としてココヤシやピナンヤシが昔から栽培されてきた。そこにコーヒー
を加えて商品作物価格の市況の変動に強い農家を育成していく方針が打ち出されているの
だ。肥料にはコーヒーの実から豆を取ったあとの廃棄物とピナンやココヤシの廃棄物と牛
の排泄物を混ぜたものが使われ、決して火を使わない方針が厳守されている。またコーヒ
ー栽培も徹頭徹尾オーガニック方針が執られていて、化学肥料も殺虫剤もシャットアウト
されている。


スパルディは自分が持っている5Haのコーヒー畑から毎月百キロの乾燥コーヒー豆を生産
している。リブトゥコムはキロ当たり3万ルピアの値が付いている。おまけにその地方の
自然の中に住むルアッが置いて行ってくれるものがある。リベリカ種のコピルアッは1キ
ロ30万ルピアだ。加えてかれはピナンとココヤシの畑も持っているから、貧困農民とい
う印象は感じられない。

かれはその月、ジャカルタのバンテン広場で開催された農産物展示会でリブトゥコムを紹
介した。そして持参した60キロの粉末コーヒーが一日で売り切れたことにわれながら驚
いたそうだ。

リブトゥコムの地名ブランド保護ソサエティ会長は、中東や南アジアからの注文がたくさ
ん入ると語る。しかし生産農民のほとんどは泥炭土に生えているコーヒー木の世話で時間
と体力を消耗してしまい、製品に加工してシングルオリジンで販売する余力がなかなか持
てないと現状を苦慮している。[ 続く ]