「1889年のパリ観光(3)」(2024年01月24日)

閣下はたいへん人柄のよい方で、ゆっくりと上品に話されるので、たいへん気持ちよくま
た楽しく会話ができる。閣下はだれとでも親しくお話なさり、相手の貴賤を少しも問題に
しないそうだ。初対面の人間とでも気安くお話なさる。われわれがだれで、バタヴィアで
何をしているのかといったことを閣下は実に親しげにお尋ねになった。バタヴィアの高官
としてふさわしいお方だ。

食事の後われわれはみんなでトラムに乗り、劇場へ芝居を見に行った。ところが行ってみ
たらもう満席で切符が残っていない。仕方なくまたみんなでトラムに乗り、ホテルに戻っ
て寝た。


1889年8月13日(火曜日)、われわれはナポレオン一世の墓所を見に行った。かれ
は青紫色の大理石の石棺の中に埋められて御殿の中央に置かれている。周囲は12体の石
像に取り巻かれ、中央がイエスの宮殿になっている。左右の黄色いワイヤーガラスに光が
照射されて燃えているように見える。

その石棺はロシアの王が提供したものだ。総費用は14万フラン。墓所建物の裏にはナポ
レオン一世が収めた戦勝を示す、ありとあらゆる旗が集められている。この墓所にはナポ
レオン戦争時代にかれに与したひとびとも集められている。この建物に毎日数千人の見学
者がやってくるそうだ。

それからわれわれは万博会場へ行って、たくさんの機械が成型したり、絨毯や縁飾りレー
スを作ったり、ピンや時計や紙ばさみ、あるいは鋼鉄の輪の製造や製紙プロセスを実演し
ているのを大きい建物の中で見た。粥状のものが紙にされ。20ロールほどの巻紙ができ
あがった。鉄を削っている機械もあった。

そのあと中国の建物に行ったら、アンナンのワヤン劇が演じられていた。劇を見物するひ
とは1フラン払ってイスに座る。シャム人が押す、客を載せる乗り物が建物の外にたくさ
んあった。その乗り物に座れる客はひとりだけ。会場内を見物して歩き疲れたひとは、廉
い金額でそれを利用できる。行きたい場所を言えば、シャム人がそこまで運んでくれるの
だ。われわれは運ばれて行く白人トアンやニョニャたちを大勢目にした。


1889年8月21日(水曜日)、われわれは万博会場の中でしゃべる機械をはじめて見
た。一軒の店に置かれている機械が、しゃべったり唄を歌ったり、音楽を鳴らしたりして
音を出すのだ。そのデモンストレーションが行われていて、周辺は黒山の人だかり。とこ
ろが突然強い雨と風が襲ってきたから、人だかりはあっという間に解散した。


1889年8月22日(木曜日)、われわれは自分たちだけで万博会場に行った。バタヴ
ィアで売れそうな品物を探しに行ったのだ。しかしわれわれが取り扱っているジャンルの
品物には、それほど珍奇なものが見当たらない。珍奇で人目を引く品物はもちろんあるの
だが、それはわれわれの扱い商品になりそうにないのだ。だがまあ試しに、見本を少し買
ってみた。われわれは実にたくさんの店を訪れた。そしてほとんどが、ただ見ただけだっ
た。

あちこち見て回って疲れたから、休憩所に行って休んだ。そこはもちろん誰でもが来て休
憩するために設けられている場所だ。ひとが押してくれる乗り物があって、1時間2.5
フランでチャーターできる。しかしそんな乗り物に乗って疲れるよりも、ただ座っている
ほうがましだ。乗り物は狭い場所を通れないし、隅の方に小さい店が集まっているところ
にも近寄らないのだから。いろんな商品を見ようと思っているわれわれには、あまり利点
がない。

ホテルに戻って食事すると時間が遅くなってしまうから、われわれは食べ物屋で済ませた。
パン5セント、ハム一切れ25セント、ワイン1グラス10セント、ビール1杯15セン
ト。その食べ物屋のトイレが一番きれいで悪臭もない。男性は無料だが女性は5セント払
う。するとタオルと石ケンがもらえる。[ 続く ]