「1889年のパリ観光(終)」(2024年01月25日)

一番端の、われわれが最後に入った建物にはリフトがあって、乗るのにひとり0.5フラ
ン払った。ガス灯がたくさん使われている。とても高い建物で、下を見ると恐怖感に襲わ
れた。名前をトゥルカデロと言う。


1889年8月23日(金曜日)、われわれはザドゥルホフさんと万博会場に行き、エッ
フェル塔にのぼった。奥さんは同行せず、ふたりのお嬢さんが一緒に行った。リフトがあ
って70人くらいが乗れる広さだ。下の階で2フラン払う。塔の中は幅が百フィートの正
方形で、2万人くらい収容できる。2階に上がると1フラン払う。そこは幅が60フィー
トの正方形で、1千5百人くらい入れる。3階が最上階で、リフトに2フラン払う。幅は
25フィートだから、とても千人も入れない。入場客でいっぱいだったのは3階だけだっ
たから、一日の収入がどれくらいなのか、だいたい想像が付く。

上の階には店や食堂、飲み物作り売り人などがたくさんいて、そこまで上ると気分が晴れ
晴れとし、楽しさも4倍になった。そこからパリの街中をすみずみまで遠望できる。トラ
ムの車体が人差し指の長さに見え、路上を往来している人間はまるで小コウモリがうごめ
いているようだ。

ここまで上るのにたいへんな苦労をした。先に来たひとが並んで待っているのの後に付か
なければならない。まるでパレード行列のように、後から来たひとはその尻に付くのであ
る。左右は鉄の柵になっている。

上にのぼるツアーに参加するひとは二列に並ぶ。列は右に振れ左に揺れ、まるで龍の練り
歩きのよう。社会統制が実によく取れていて、整然として混乱がない。とても素晴らしい
ことだ。だからどこに行こうが列に並ぶ。ここの列はたいへん長い。バタヴィアで例えれ
ば、ピントゥブサルの橋からバタヴィア市庁舎までくらいの長さになるだろうか。
いろんなものを見てわれわれは十二分に満足し、ホテルに戻った。


1889年8月24日(土曜日)、われわれはザドゥルホフさんと一緒に出掛けた。奥さ
んとお嬢さんたちは香水を買いに別の場所へ行った。珍しい品物を展示している店に行く
と、長さ2メートルの折り畳みナイフや作られたばかりの銃身長2メートルの銃があり、
また鉄や鋼の材料でいくつかの新型銃を作る機械の実演が行われていた。真珠の店では、
まだ閉じている真珠貝と中の真珠が取り出されたあとの貝を見せてくれた。

たいへん珍しいものが見つかった。浮燈心だ。燈心が一個だけあって、缶にヤシ油を入れ
て浮かせれば2〜3ヵ月もつそうだ。屋内で使うこともできる。よさそうだから、われわ
れはこれを買った。


パリのトラムはバタヴィアのものと同じだ。煙を蓄えるものの、機関車が先頭にあるから
蒸気は過剰でない。最初われわれは電気で動いていると思っていたがそうでなく、構造が
粗雑に作られていないという点が違うだけだった。

今日は気温が低くて寒い。というのも、ここ三日間小雨がよく降るからだ。それもわれわ
れが不思議に感じていることだ。ヨーロッパのどこへ行こうと、イタリー・ロンドン・パ
リ・アムステルダムのどこであれ、バタヴィアのような土砂降りになることがない。せい
ぜいわれわれの言うちょっと強い小雨程度のものでしかない。

ヨーロッパの気候はとても不思議だ。タバコを置いておくとカリカリに乾燥する。濡れた
ハンカチを絞って置いておくと、半時間もしないうちに乾いている。皮膚潰瘍患者にヨー
ロッパはとても良い土地だ。きっとすぐに治るだろう。


われわれが買いたい商品は汽車を降りるたびに調べられ、税金を納めなければならない。
だからバタヴィアにたくさん持って帰ろうとすると、金がかかってたいへんだ。買った店
の主人に送り賃を払ってバタヴィアに送ってもらうのが一番よい。

われわれとザドゥルホフさんご一家はバタヴィアを出てヨーロッパに着いてからも今まで
ずっと安全無事で健康に過ごしてこられた。何の問題も起こらなかった。われわれの旅は
順調に進展し、望んだこともすべて行われ、今われわれは心満足し、たいへんうれしく思
っている。このあとわれわれがバタヴィアに帰り着くまで、きっと神のご加護が維持され
ることだろう。

われわれは8月25日にパリを発ってアムステルダムに向かった。9月にはアムステルダ
ムからジェノアへ行き、バタヴィアに向かうことになる。10月末にはバタヴィアに帰り
着いているはずだ。バタヴィアの家族や友人たちもきっと安全無事で過ごしていることを
願ってこの筆を置く。 :タン・フーロー
[ 完 ]