「軍事演習場から大学に」(2024年01月26日)

ライター: 文司・バンドン在住、スジョコ
ソース: 2003年10月18日付けコンパス紙 "2.500 Tahun yang Lalu" 

友人のひとりが尋ねた。「kampusやsenatという単語が古代に使われていたなんて、あり
えないだろう?古代ローマに大学なんかなかったんだから。」

あはあ、かれもわれわれみんなと同じように、そのふたつの単語が大学の術語だと思って
いるのだ。わたしは答えた。「sarjanaという言葉も、大学が作られるはるか昔から使わ
れていたんだ」。

言語が新しく作られる単語ばかりで構成されるはずがない。何百年も昔に使われていた単
語も使わざるをえないのだ。いや、何百年どころか、何千年昔でも同じことだ。語義は人
間が変化させる。それが当たり前のことであるのは言うまでもない。eliteという言葉を
見るがいい。われわれは臆面もなく、その言葉を悪人に対して使っているではないか。


kampusというのは元々、広い草地を指していた。2千5百年前のローマではそうなってい
たのだ。そのような土地は重要性を持っていた。軍隊がそれを必要としたからだ。例えば
ローマが戦争を行うとき、その土地で軍隊の編成が行われ、そしてそこで軍事訓練がなさ
れた。kampusのおかげでローマは広大な領域を有する一大帝国を築き上げたのである。

今日、kampやKampfは戦争や闘争の語義を与えられている。軍隊が宿営する場所はkampま
たはcampという言葉になっている。campaignという言葉はローマ帝国崩壊後、広い戦場で
軍隊が行う戦闘運動を指すようになった。何世紀も時代が下ってから、その言葉は政党が
闘いに勝つための運動を示す言葉になった。もうちょっとすればインドネシアもkampanye
で賑わうことだろう。

その一方でcampusの語は歴史の中に埋もれてしまった。ローマ自身がその言葉の権威を高
めたというのに。たとえばCampus Martiusにはアポロの神殿とマルティウスの学舎が設け
られた。マルティウスとはマルス神のことだ。紀元前1世紀にはそこに公衆浴場・演劇場
・体育館・種々の神殿などたくさんの建物が作られていたから、Campusという言葉を地名
に持ったとはいえ、戦争や軍隊に関係を持つ場所ではなくなったようだ。

別の変化が18世紀のアメリカで起こった。プリンストン大学がそれほど奇妙とも思えな
い提案を公表したのだ。「大学のすべての建物施設が建てられているこの土地に名前が必
要だ。われわれの大学はありきたりのものではないのである。大学が入っている土地に名
称を付けよう。」

われわれだって似たような願望を持っている。ありきたりでない名称を、それもできるだ
け西洋風のものを見つけ出すのである。supermallはその典型例だろう。サンスクリット
語を造作することもしばしばだ。susuとかtetekという言葉しかなかった乳房にサンスク
リット語のpayodharaを引っ張って来てpayudaraが作られた。

昔の言葉には独特のイメージがまつわっている。プリンストン大学にとってもそうだった。
1774年にかれらは大学施設が載っている土地にcampusという名称を与えた。そのとき
に古代の単語が、「高等教育の中心地」というまったく新しい別の語義を身にまとって墓
から立ち上がってきたのである。

それ以来、campusという単語は米国で大いなる権威の滲んだ言葉になった。一方、ヨーロ
ッパではどうだっただろうか。だれも米国を真似ようとしなかった。だからオランダ語の
語彙の中にcampusもkampusも存在せず、オランダ東インドに大学が作られたにもかかわら
ずkampusと呼ばれる場所はひとつもなかった。

スカルノ大統領のインドネシア共和国が誕生したあとも、大学の学園は相変わらずオラン
ダ風の伝統の中にあったから、campusという言葉は依然として社会でなじみのない単語に
なっていた。たまたま1956年にブンカルノがケンタッキー大学の20人の教授を招い
てバンドン工科大学で学生を教えさせ、その翌年にバンドン工大の数人の教官を米国に留
学させた。その結果、campusという言葉がやっとバンドン工大の中で聞かれるようになっ
た。その後、その言葉がインドネシア国内でどのような道をたどったかは容易に推測する
ことができよう。こうして、スハルト時代になってkampusという言葉がインドネシア国内
で社会化したのである。ただわれわれの中で、その言葉がイタリアのテヴェレ河畔(英語
でTiber River)の小村に由来するものであることを知っている者はほとんどいない。


2千5百年前のローマは帝政時代にあったが、共和制時代からの3百人の民衆代表者で構
成された大きい権威を持つsenatusと呼ばれる評議機構が存在した。いつの間にか、われ
われも大学でsenatを作った。これも学長と一緒に大学を育成指導する代表者評議会であ
る。この言葉はどこから出てきたのだろうか?大学のsenatの由来はローマでなくてオラ
ンダ人が残したものだった。

大学生自治会がsenat mahasiswaと命名されたときに逸脱が起こった。その役員になった
学生たちは、まだあごひげも鼻ひげもない若僧だというのに自分をsenatorと呼んでいる
のだから。