「ヌサンタラのコーヒー(66)」(2024年01月29日)

スムンドはムアラエニム県スムンド郡のことで、Semendoと綴られることが多いのだが中
にはSemendeと書くひともいる。ムラユ語は語尾が弱母音化する傾向を持っており、スム
ンドの語尾が弱母音化するとスムンドゥと聞こえる。音にするとほんのわずかな違いにし
か感じられないというのに、文字が-doと-deになっていると大違いのような気になってし
まうのはどうしたことだろうか。

文明が生んだ文字というものを神聖視するあまり音声の軽視が反作用として起こり、その
バランスの崩壊が現代人をして感覚的な歪にのめり込ませているようなことはないだろう
か?その現象は文字の国である日本ばかりか、欧米は元より比較的最近まで口承民族だっ
たインドネシアにも見られ、どうもそれが現代人類の変容のひとつではないかという疑問
がわたしの脳裏に明滅しているのである。人類は進歩の足先をいったいどこに向けて歩ん
でいるのだろうか?


単なる地名でしかないとはいえ、スムンドという名はかつてコーヒーの代名詞のように使
われてきた。スムンドで産するコーヒーが名を轟かせていた時代、ひとびとはスムンドと
いう言葉を耳にするとコーヒーを思い出した。オランダ王国のユリアナ女王がスムンドコ
ーヒーを好んだという話がある。それがスムンドという名前に黄金色の折り紙を添えるこ
とになった。ユリアナのためにスマトラに御用達農園が作られたそうだ。

ユリアナの女王即位は1948年だったから、それは王女時代のできごとだったのかもし
れない。ともかく女王であろうが王女であろうが、陛下のご愛飲コーヒーを確保するため
に、王国政府はオランダ東インド政庁に命じて御用達コーヒー農園をスマトラの山中に設
けさせた。パガララムのシンパンパダンカレッ地区に最高級コーヒーを作るための小農園
が作られて、そこで穫れたコーヒー豆は全量がオランダ王宮の厨房に送り込まれたという
話が語られている。

それが既成の事実であれば王女陛下のためだったことになるのではあるまいか。ユリアナ
が女王になってから御用達農園を作らせていたなら、それはほんの数年後に計画のままで
崩壊していたようにわたしには思われる。

パガララムで穫れたコーヒー豆がオランダ女王への貢ぎ物になっていたという話がまた別
にあり、何となくユリアナの線でひとつに繋がるような気配がないわけでもないように感
じられる。事の真相はオランダ宮廷史の専門家にお調べ願うのがいちばんかもしれない。


いまだにその言葉に値打ちが滲みこんでいるために、昨今では他の土地で穫れた豆にスム
ンドの名を冠してパレンバンで売られるようなことが増加した。商店では、スムンドと書
いた紙を粉末コーヒーパックの傍に置いておけば売れ行きが良くなったそうだ。

域内の粉末コーヒー製造メーカーが美麗に印刷されたプラスチック包装にSemendoの文字
を入れたがる。中身がスムンド豆と別地方の豆を混ぜたものであったり、中には全部が別
地方産の豆であってもお構いなし。それでもスムンド産並みに美味ければまあよいだろう
が、まったく美味くないコーヒーをスムンドと偽られては、スムンドにとって踏んだり蹴
ったりだろう。

消費者のほうも心得たもので、スムンド産にこだわるひとは粉末でない焙煎豆を買おうと
する。この方法はトウモロコシやコメなどの混ぜ物が入った粉末コーヒーを避けるために
効果がある。おまけに豆が粒よりかどうかも一目でわかるから、純粋で良質なコーヒーを
飲みたいひとは豆を自分で粉にするのが昔からの常識だった。ただし、その焙煎豆がスム
ンドのコーヒー畑で穫れたものかどうかの保証は信用以外に手だてがないのも明らかだ。
[ 続く ]