「ヌサンタラのコーヒー(67)」(2024年01月30日)

スムンドロブスタコーヒーの名声は、選び抜かれた良い豆をスムンド族が伝統的な製法で
美味い粉末コーヒーに作り上げた結果がもたらしたものだ。スムンドの名が世の中で定評
を得たのは、その地方で産するコーヒー豆が良かったからという単純な図式ではなかった
と言えよう。スムンド産の豆を量産工場で粉末コーヒーにしたところで、伝統製法で作ら
れるものと同じ美味さが得られるとはかぎらない、とスムンド郡長は語っている。

スムンドとはブキットバリサンの中南部に居住していた種族の名前だった。きっとかれら
のテリトリーの中心部にその地名が与えられたのだろう。スムンド族とコーヒーは切って
も切り離せない関係にある、と地元識者は語る。

スムンド族は昔からコーヒー栽培で世を渡って来た。それが始まったのは1919年だっ
たという説がある。かれらはもちろんコメを作る。米は自分の一家の食糧として作るのだ。
同時に商品作物としてコーヒーを作る。社会生活で必要になる金がコーヒーから得られ、
それで子供に教育や学歴を与えてきた。

そんな生き方をしているスムンド族がコーヒー文化をパガララム・ラハッ・ムアラドゥア
から果てはかつてブンクル領になっていた西ランプン地方にまで広げたと地元の人々は認
識している。それらの地方に住んでコーヒー木の栽培をしているスムンド族は大勢いる。
だからスムンド郡でなくてパガララム産だったとしても、コーヒー豆はスムンドコーヒー
と同じものだと言えないわけではない、という解説をするひともいる。


美味しいスムンドコーヒーはすべて人力を使う昔ながらの製法で作られるために、粉末コ
ーヒー生産量は多くならない。スムンド郡の中心地プラウパングンの町でコーヒー豆の仲
買と粉末コーヒーを生産しているアスミヤティさんは、月に生産する粉末コーヒー量はせ
いぜい70キロくらいだと語る。製品はパレンバンや他の大きい町に卸している。ひと月
で売り切れないときもあれば、ひと月経たないうちに売り切れることもあるそうだ。

同じ町の別の粉末コーヒー生産者は注文がある場合に限って週10キロの製品を作って近
隣のワルンに卸している。注文が入らなければ作らない。プラウパングンの町ではたいて
いの住民が自家消費用粉末コーヒーを自分で作っているから、店に粉末コーヒーを買いに
来るひとは少ない。製品販売は他県の町に持って行かなければならないので、そのエネル
ギーがなければ販売事業は繁栄しないとその生産者は述べている。この製品販売者は販売
事業に本腰が入らないのだろう。

州最大の都市パレンバンは270キロも離れている一方、もっと近い場所にある諸県の町
もそれなりの距離があり、そして人口はパレンバンよりも少ない。スムンドにとって製品
販売は構造的な不利を余儀なくされており、他地方の製品生産者に向けて乾燥豆状態の原
材料を供給する立場に安住するのが楽な生き方になってしまう。


スムンドのひとびとは自分の家で飲むコーヒーをこんな製法で作っている、とプラウパン
グンのコーヒー関係者は説明した。実は白いものが選ばれる。少し薄い緑色がかかってい
るのが普通だ。それをゴザの上で天日干ししてから、機械で皮を割る。他の地方で行われ
ているような、アスファルト道路の上に実をぶちまけて通る車に轢かせながら乾燥させる
ようなことはしない。

良質の豆を集めて大きめの鍋に入れ、コンロに薪を燃やして豆を煎る。鍋を使うから容量
に限界がある。大量に作る店では、ドラム缶に穴をあけて回転させながら煎る方法が使わ
れている。ところがドラム缶方式は鍋を使うことで得られる利点にどうしても負けてしま
う。豆に含有されている水分を散らせるためには開放されている鍋のほうが有利だ。ドラ
ム缶に大量の豆を入れて加熱する方法では、そこのポイントにおける効果が違ってくる。
それが味の違いをもたらす。

おまけに鍋で少量を処理する場合、豆のひとつひとつの仕上がりを目でチェックすること
ができる。熱が十分に加わっていない豆粒があれば、それへの対応措置を執ることができ
る。ドラム缶の中の大量の豆にそんな対処ができるわけがない。鍋で煎る作業はたいてい
1.5時間から2時間かけて行われ、文字通り各豆粒が粒よりの状態に仕上げられるので
ある。続いて煎られた豆を粉にする作業が行われる。[ 続く ]