「ヌサンタラのコーヒー(69)」(2024年02月01日)

標高3,159メートルのデンポ山はスマトラ島南部の最高峰であり、それより高い山はそこ
から南に存在しない。何しろ全島で第三位の高山なのだ。デンポ山の東側山麓にPagar 
Alamがあり、山の西側はブンクル州だ。パガララムでオランダ人が茶農園を開発したのは
1929年だったが、コーヒー農園は1920年ごろにロブスタ種を使って開始された。
パガララムのひとびとはコーヒー豆をkawaと呼び、インドネシア語のkopiは粉末コーヒー
を指して使っている。

デンポ山での茶農園開発は拙作「グヌンデンポ茶」:
http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-32IndonesianTea.pdf
「インドネシアのお茶」13〜15ページがご参照いただけます。


パガララム市のコーヒー栽培面積は8,323Haで生産量は小さい。ところが北のラハッやウ
ンパッラワン、あるいは隣州のクパヒアンやレジャンルボンなどの諸県で収穫されたコー
ヒーの一部がパガララムの流通業者の倉庫に集まって来る。パガララムはオランダ時代か
らコーヒーの集散地になっていたのだ。

パガララムに集まってくる近隣諸産地の豆の多くは混ぜられてランプンに送られる。ラン
プン州には大型国際海港があって、定期国際航路の貨物船が寄港する。南スマトラ州には
小規模な港しかない。ランプンから輸出されるコーヒー豆の半分は南スマトラ州の産物だ
と語る関係者もいる。ランプンのマス輸出業者が外国に送った豆にスムンドやパガララム
といった名札が付けられているはずがない。そんなことをするのはスペシャルティコーヒ
ー業界だけだろう。


オランダ時代にパガララムでコーヒー栽培と流通に携わっていたオランダ人は、プリブミ
農民や加工業者が行っているコーヒー処理作業をたいへん厳しく指導したそうだ。粗雑で
間違った扱いをして品質が劣化することをこの上もなく嫌っていた。オランダ東インドか
らの輸出はオランダ人が行っていたのだから、当然と言えば当然の話だ。

まだ緑色の未熟実は色付かなければ収穫してはならず、実の天日乾燥はそのまま地面に置
かないで必ずゴザを敷かせた。品質をことさら重視したのは、パガララム産のコーヒー豆
がオランダ女王への貢納品になっていたからだ、とパガララムの仲買人のひとりは語って
いる。

パガララム産のコーヒー豆は品質が良いという評価がオランダ時代には東インドから諸外
国にまで広がっていた。その具体例はたとえばアロマだ。パガララムで穫れたコーヒーは
熱湯で抽出する前の粉末状態ですら既に強いアロマを発し、抽出液も喉の滑りがたいへん
良いという特徴を持っている。著名なコーヒーメーカーが出している商品にはパガララム
産コーヒーがブレンドされているものが多い。しかしその種のコーヒーは素材の産地を表
示しないのが普通だ。

ところがオランダ人が去ったあと、オランダ人が口うるさく言い聞かせていた品質重視の
姿勢が崩れてしまった。コーヒー農民は収穫作業のときにまだ未熟な実まで採取してしま
う。おまけにアスファルト道路の上に実を置いて天日乾燥させている。道路上でそんなこ
とをするのは、実が通りかかる車に轢かれて割れるように一石二鳥を図っているのだ。お
かげで独立後、品質は悪化の一途をたどることになった。[ 続く ]