「ヌサンタラのコーヒー(70)」(2024年02月02日)

ムアラエニムにスムンドゥ族がいたように、パガララムにはブスマ族がいる。正音はブス
マであってその正確な音写はBesemahになるのだが、Basemah, Pasemah, Pesemah,などと
綴るひともたくさんいる。この現象は「まず最初に音ありき」という言語の原則が生んだ
ものと解釈しなければならないだろう。

特にコーヒーの関連ではBasemahの綴りが昔からなじんでいたため、昨今の主流になって
いるkopi Besemahの表記に驚いたひともいるのではあるまいか。ともあれ、このブスマ族
というのはスリウィジャヤ王国の王統に属す人々が奥地の山地部に新天地を求めたのが種
族の発端になったという伝説が語られている。


パガララム市の中にブスマ郡があり、オランダ時代にはブスマで穫れるコーヒーが美味い
という定評を得ていた。ところがイ_ア語ウィキぺディアによれば、kopi Besemahはkopi 
Pagar Alamとも呼ばれていて、ブスマ高原にある農園で収穫されたロブスタコーヒーを指
しているという説明になっている。パガララムの別の土地で穫れたコーヒーをいったい何
と呼べばいいのだろうか?

バスマコーヒー(オランダ人はたいていバスマと呼んだ)はたいへん美味いためにオラン
ダ女王が愛飲し、それがバスマコーヒーの名を高めたという話があって、スムンドで聞い
たのとそっくりな内容にわれわれは驚かされることになる。おまけにユリアナ女王が好ん
だのはブスマコーヒーなのだとパガララムのひとびとは念を押す。女王のためにオランダ
東インド政庁はパガララムのシンパンパダンカレッ地区に特別農園を設け、そこで収穫さ
れた最良のコーヒー豆をオランダ王宮の厨房に全量送り込んだというまったく同じ話が主
を替えて語られ、どうやらわれわれはお国自慢の論争に巻き込まれてしまった感触を余儀
なくされる。


ブスマコーヒーが美味いのは伝統的な製法のおかげであり、薪を燃やすコンロに鍋を置い
て豆を煎り、その火加減を調節することによって最高の味覚を得る技術が培われたという
説明も何やらスムンドとよく似た話に聞こえる。

1970年代に開業したパガララムの粉末ブスマロブスタコーヒー生産者はKawah Dempo
のブランドを付けて製品を販売している。一日の生産量は80キロくらいで、製品はパレ
ンバンとパガララムに卸しているそうだ。パガララムを訪れる外来者がお土産に買って帰
るのが多いという話なので、ここにもスムンドと似たような地元での製品販売の難しさが
あるのかもしれない。

それは町中にクダイコピがあまりない現象からもうかがえる。多分住民はコーヒーを自宅
で飲むのを普通の習慣にしていて、家の外で金を払ってコーヒーを飲むことがまだ一般化
していないのではあるまいか。

とはいえ、コーヒーを飲む習慣は住民の間に確立されていて、ほとんどだれもが朝のコー
ヒーを欠かさない。コーヒーは人間に活力を与える飲み物であり、仕事の前にコーヒーを
飲むことで労働意欲と生産性が高まるのだと住民は信じている。

ブスマコーヒーの伝統製法はスムンドのものとよく似ている。コーヒー愛好者はコーヒー
木に生った実の中の、十分に熟したものだけを採る。それを天日干しして乾燥させ、皮を
はずして中の黄色く艶光する豆を取り出す。それを水に浸けて洗い、炉に置いた鍋で煎る。
すべての粒を十分に煎ったあと、臼に置いて木製の杵で潰す。潰したものは目の細かい篩
にかけて細粒だけにする。

その粉末コーヒーをカップに入れて熱湯をかけ、コピトゥブルッの要領で抽出液を作り、
それを賞味するのである。[ 続く ]