「印尼華人史と華人新聞(5)」(2024年02月02日)

中華ナショナリズムを強く推すシンポーの政治方針はプリブミメディアとの論争を引き起
こした。プリブミのナショナリズムはインドネシアの自治もしくは独立を指向している。
ヌサンタラで生まれて地元民の血統を何分の一か持っている華人プラナカンがヌサンタラ
という土地と人間の運命に関わろうとしないあり方をプリブミはそう簡単に受け入れるこ
とができない。われわれはお互いにどちらも同じ、オランダコロニアリズム統治の犠牲者
ではないか。華人プラナカン社会を脱ヌサンタラの方向に導こうとしているシンポーの方
針を反ヌサンタラ的であり反インドネシアナショナリズムであると見なす見解がプリブミ
層に湧きおこっても不思議はなかった。

現実に華人コミュニティもシンポーの方針一色に塗りつぶされたわけでもない。華人プラ
ナカンの中にも、ヌサンタラという土地を自分の母国と考え、この土地と人が置かれてい
る異民族支配という政治状況の不合理を正さなければならないというローカル政治意識を
燃やした者も少なからず輩出した。かれらは政党Partai Tionghoa Indonesiaを1932
年に結成してコロニアル体制を覆そうとするプリブミの運動と手を携えた。インドネシア
中華党の非公式スポークスマンとしての役割を1929年にスラバヤで発刊された新聞
Sin Tit Po新直報が担った。この新聞は華人コミュニティの中を覆っている地元政治への
ノンポリ姿勢に一石を投じようとして論陣を張った。


ジャワ島の各地にある華人コミュニティに勢力を張り、影響力を振るった中華会館は、文
化アジェンダを優先的に取り上げた。華人プラナカン層に対して儒教の教えに則した華人
民族衣装の正しい着用を教え、華語と中華文学を教え、討論の場を用意し、図書館を設け
た。世の中で語られている中華会館の業績のほとんどは教育分野におけるものだ。

文化エクスクルーシブな中華会館の姿勢に華人新聞界のマジョリティも追随した。リーポ
ーは中華民族の進歩発展のためという新聞発行方針を社説の中に謳っている。カバルプル
ニアガアンも中国の歴史や文化を主題にした連載小説を間断なく掲載し、政治紙をモット
ーにするシンポーも中国の伝統文化をテーマにした紙面を必ず用意した。

オランダ東インドの体制下に生まれた華人系新聞界はその力を、華人系プラナカンに対す
る文化教育と汎中華主義の普及に注いだと言っても過言にはならないだろう。父祖の伝統
がこもっている文化こそがお前たちのよって来るところなのだという見解は、およそ半世
紀後に世界中で爆発する民族主義の胎動を示すものであったと言えないこともない。たと
えその見解が一方的で独善的だったとしても、である。

同時にその社会的なモチーフが新たに起こした新聞事業のモメンタムをとらえて、その時
期のバタヴィア・スラバヤ・スマランなどに住む華人ビジネスマンがビジネスチャンスを
その手に掴んだことが、種々の新聞の発刊という現象になって現われたのだった。


人類学的に混血であり、折衷文化の中に生まれ育ったプラナカンたちの精神に中国本土を
崇拝する精神が植え付けられた。中国で一朝何かの大変事が勃発した際、インドネシアの
プラナカン数百万人が在外戦力として本土を救うために出動するのだろうか?実に子供じ
みた空想ではあるまいか。だが在外華人がどの国に何百万人いるという話は20世紀を通
して語られ続けてきた。世紀は既に変わってしまったというのに、いまだにそんな視点で
世界を見ているひとびとがいる。

そのように過激な状況でなくて、もっと平和裏の移住というケースではどうなのか。崇拝
するべき父祖の地である中国の進歩発展のために本土に赴き、そこの学術界や産業界にわ
が身を捧げて貢献したヌサンタラのプラナカンがどれほどいて、中国本土の社会でどれほ
どの栄誉を与えられ、国民に尊敬されているのだろうか?どうも反対のケースの方がより
たくさんわれわれの目につくように思えて仕方ない。[ 続く ]