「ヌサンタラのコーヒー(72)」(2024年02月06日)

コーヒー木はほとんどの土地で山地高地の山稜や山腹の斜面に植えられており、一般的に
農民の居住地区から遠い場所にある。スマトラ島南部地方ではコーヒーの実を盗摘する盗
賊団の被害が頻繁に起こることから、ここでも悪事がコーヒーの品質を低下させるという
現象を生んでいる。

ランプンでも農民はコーヒーの実が完熟する前のまだ緑色のものを摘んでしまう傾向を持
っている。というのも、盗賊団は完熟した実だけを盗むからだ。太ってきた実が完熟する
のを待っていると盗摘されるかもしれない。盗まれたら農民には売れる物がなくなってし
まいかねない。完熟した実は仲買人が高く買うが、実自体がなくなってしまえば元も子も
ないではないか。完熟していない実は仲買人の買値が下がるものの、それでも農民は金を
得ることができる。この悪循環がコーヒーの品質を低下させているのである。

もちろん金が欲しい農民が青田刈りをするケースもあって、それは農民自身が品質を低下
させ、自分の家業の経済性を悪化させていることになる。この種の農民は品質を棚上げし
た合理性を追求する者が多く、実の乾燥処理にしても道路脇に実を並べて乾燥させる生産
農家がたくさんある。自分の乾燥設備を持たないで、往々にして地べたにそのままコーヒ
ーの実を置くため、仕上がったものの品質はグレードIVに評価されて低価格で仲買人に買
い取られることになるのだ。


西側に偏ったスマトラ島の脊梁山脈であるブキットバリサンの南端に近い山稜に位置して
いるLiwaの町は西ランプン県の県庁所在地だ。2018年2月のある日、コンパス紙取材
班がリワのコーヒー生産者ヘルマワンさん41歳の家を訪れた。高床式木造家屋の隅に置
かれた長さ1メートルほどの木の櫃を開けて中に収められた白い長衣を示しながらヘルマ
ワンは物語った。

百年以上の歳月をその家の中で過ごして来た家宝に等しい木櫃は彫刻の形も不鮮明になり、
色も?げ落ちている。櫃の中にはメッカ巡礼のために使われた衣料や道具類が入っている
のだ。ヘルマワンの祖父が1910年より少し前に聖地メッカへの巡礼を行なったとき、
この櫃が祖父に随行したのである。

祖父のハジ シャフィイは3ヵ月間も船に揺られる旅をした。そのときの出費を全部コー
ヒーがまかなった。自分も家業のコーヒー作りに精を出して祖父のようにハジ巡礼に上ら
ねばならない。「この櫃を見ると仕事への意欲が湧いてきますよ。」

ハジ シャフィイはずっと昔に世を去ったが、コーヒー畑は昔通りに残っている。とはい
え、祖父のメッカ巡礼をまかなったのはアラビカ種コーヒー木だった。今の畑にはロブス
タ種が植えられている。だがそんなことくらいでヘルマワンが自分の夢を捨て去るように
はならない。コーヒーの市況に波があろうとも、かれはその夢に向かって毎日を誠実に生
きている。


ランプンの農民がコーヒーによって栄えた時代があった。強制栽培制度の悲惨な歴史があ
り、そしてまた美しい歴史もその一方にあったのだ。ランプンの民衆は1856年にコー
ヒー栽培を推進して、1857年にランプンのレシデンが20万本の植樹がなされたこと
をバタヴィアの総督に報告した。ランプンの地でアラビカ種コーヒー木の植樹はうなぎの
ぼりに拡大し、1862年のレシデン報告書には4百万本という数字が躍った。[ 続く ]