「海を忘れた海洋民族(1)」(2024年02月13日)

インドネシア人は祖国あるいはわが国土のことをtanah airと呼ぶ。逐語訳をすれば「土
地・水」となるのだが、それらは修飾関係になくて並列関係になっている。「水のある土
地」や「水の豊かな土地」などの意味を示しているのでなく、「土地と水」がその意味し
ているところなのだ。つまりわが国土は土地と水で構成されている、言い換えるなら陸地
と海がわが国土なのだということを表現しているのである。それほどまでに海をわが国土
に関連付けている国がほかにあっただろうか?現実に、インドネシア共和国総面積の三分
の二が海なのだ。

1957年12月13日にジュアンダ首相は歴史に名を残すジュアンダ宣言を発表した。
それがタナアイルの本質を説き明かす解説であり、インドネシア人にとっての海というも
のの把握方法を物語る哲学であったのは当然の摂理だったと言えよう。
「インドネシア共和国領土である陸地と島々ならびに他の陸土の一部分の周囲・その間・
ならびにそれらをつないでいるすべての水域はその広さや距離に関係なくインドネシア共
和国領土を陸地と共に構成する部分であり、かくしてインドネシア共和国の絶対主権下に
置かれた領土の一部なのである。」

ヌサンタラの住民がインドネシア共和国の国民として一体化されたのは1945年であり、
それまでは個別の種族文化の中にいたのだからヌサンタラをタナアイルと呼ぶ状況にはな
っていなかった。そうであっても、自分たちが帰属する大きな器がまだなかった時代でさ
え、ひとびとは海を越えて通商し、相互に結びついていた。もちろん海を越えて戦争した
時期を除いての話だ。

通商するにせよ戦争するにせよ、ひとびとは船を作り、海に浮かべてそれを操り、航路を
作り出して海上交通を盛んにした。土地によっては、海岸部のひとびとが地続きの内陸部
とつながるよりも、海を越えて別の土地の海岸部と結びつくほうを好んだケースもある。
ヌサンタラの住民は生まれながらの船乗りだったのだ。


イブ スッIbu Sudが作ったNenek Moyangku(わたしの先祖)と題する子供向け歌唱曲があ
る。歌詞は概略こんな内容になっている。

わたしの先祖は船乗りだ
大洋の果てまで船に乗り
逆巻く大波を恐れず
暴風を突き抜けるのも平常のこと

風が吹き、帆をみなぎらせ
波は岸辺に打ち寄せる
勇敢な若者よ、今立ち上がれ
海へ行こう みんな一緒に

かつては海の民だったインドネシア人が長い民族の歴史の中で海を失ってしまった。海を
無くしたインドネシア人の精神は本来のものから乖離し、インドネシア人は非本来的な人
間になって新たに建国されたインドネシア共和国を動かしている。陸地と海のインドネシ
アが海を失って陸地だけの精神になったインドネシア人に動かされている。それがミスマ
ッチングであるのは明らかだ。

インドネシア人は本来の海洋民族に戻らなければならない。海洋民族が動かすインドネシ
アこそがその国民に繁栄と福祉をもたらし、国際社会の一員として世界の舞台で自己の役
割を演じることができる。今こそインドネシア国民はみんなそろって海に繰り出さなけれ
ばならない。[ 続く ]