「海を忘れた海洋民族(2)」(2024年02月14日)

その呼び声はインドネシア独立直後からスカルノ大統領の国家演説の中に再三登場した。
1953年スラバヤに設けられた海軍学院の開校式でスカルノはこう語った。「・・・独
立がもたらしたチャンスを利用してわれわれの現在の状態を改善するように努めること。
われわれが昔そうだった船乗り民族に回帰するよう努めること。そう、・・・。つまりも
っとも広い意味における船乗り民族ということだ。単に船内で使われる下働きということ
ではない。そうじゃない!大洋をわが物にする王者としての船乗りだ。商船隊を持つ海洋
民族、海軍船隊を持つ海洋民族、海を揺さぶる波の律動に負けない、活動的な海洋民族な
のだ。」

1960年代のスカルノ政権が持った海軍力は東南アジア随一として諸国から畏敬された。
総艦艇数234隻という海軍の主力を構成する戦闘艦隊は巡洋艦1、潜水艦12、駆逐艦
7、フリゲート艦7その他魚雷艇などを擁し、堂々たる陣容を誇っていた。

1964年の共和国独立記念式典でブンカルノは、国家指導者として国民にこう語りかけ
た。「わたしは怒涛が激しく打ちつけている大洋の絵画のほうが、涼やかにして穏やかで
静謐な水田の光景を描いたものより好きだ。」

ブンカルノが唱道した船乗り民族への回帰があの時代に国民運動としての形を取ったのか
どうか、わたしは知らない。反スカルノだったオルバレジームでも、スハルト大統領が1
996年を海洋年としてこのテーマを取り上げた。インドネシア国民は海の民だったが歴
史の中で海洋技術を失い、その結果海洋精神も衰えてしまった。それを取り戻さなければ
ならないという内容だ。


そうして長い期間が経過し、その呼び声が2010年前後にマスコミの採り上げるところ
となって、国民知識層の声として広がって行った。国民の文化意識から生じた国民運動に
なったと言うことができるだろう。2014年に就任したジョコ・ウィドド大統領も選挙
運動の中にそのテーマを取り上げ、就任後もそれを国民運動として扱い、国民の精神改革
をリードした。だがその結果がどうだったのか、果たして国民が海洋民族精神を取り戻し
たのかどうかについてのはっきりしたことはわからない。

国民精神を形成する超形而上学的なものが目に見えるわけでないのも明らかであり、結局
は国民が示す政治文化行動からそれを推測するしかないのだろう。しかし果たして国民の
政治文化行動に海洋民族文化を踏まえた変化が現れたのかどうか、これもまた容易に見極
めることの困難な問題ではあるまいか。何らかの変化が感じられたとしても、それが国民
精神とつながっているのかいないのか、いったいだれにそれがすぐ判別できるだろうか。


海洋民族精神とはいったい何なのか、それに対立している大陸型民族文化とはどのような
ものなのか、その違いはさまざまに説明されているが、インドネシアの文化人の中にその
違いをこのように形容したひとがいる。

海洋民族型の世界観はホリゾンタルであり平板だ。その哲学は常に揺れ動く状態を日常の
ものと考え、自己をそこに置いて世界を見る。そのために動的な人間の生が人生観となり、
財産とは自然環境の中から自分が手に入れて享受するものになる。大海原の所有権という
発想は起こらず、海上にいるだれもが同じ立場に立って生きているという、エガリテとリ
ベルテの強い傾向を持つ人間観を抱く。

一方の大陸民族型世界観はそれと対照的な違いを示しており、高山があって平地がある陸
地の地勢が示す通り、世界は高低というヴァーティカルな要素を持つものだという観念に
とらわれる。大地が揺れ動くのは異常事態であり、平常の暮らしはどっしりと安定した大
地の上で営まれなければならない。安定を求める哲学が人生観の主流を占め、財産は蓄積
されるべきものになる。その人生を支えるために土地には所有権が与えられて当然と見な
され、人間同士の間の地位の高低がその人生の中で競い争われる対象になる。[ 続く ]